ようこそ いのちのブログへ
産科医 竹内正人のいのちのブログへようこそ!
このブログは、サブタイトルにあるように、
「うまれること いきること そして いのちのことを 考えたい 伝えたい 大切にしたい
ー あなたは あなたのままで そのままで いいのです − 」
のコンセプトをもって、平成18年3月11日にスタートさせました。
ブログをはじめた理由は、「どうしてブログをはじめたのか?」にリンクさせてある
記事1,2に紹介させていただいています。是非、お読みいただければ、と思います。
その後、できるだけ、その時々の話題に、自分の感じたことを、
自分の言葉でここまで書きつないできています。
文字ばかりで、読むのは疲れるかもしれませんが、
どの記事(エッセイ)もすべて思い入れのある書下ろしばかりです。
時間のあるときには、是非、最初からのバックナンバーをお読みいただき、
現在までの変遷を知っていただけると、嬉しいです。
平成18年3月27日 竹内 正人
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コメント
はじめまして。
今までどこにこの話をしたらいいのか見当もつかず、
でもこのブログを知り相談してみようと思いました。
5年前に次男を出産しました。
妊娠6ヶ月ごろ産婦人科の定期健診で子供が
完全房室ブロックという心臓病と診断されました。
原因は私の体の中にSS-Aという抗体があったためでした。
膠原病の人の中にはこの抗体を持っている人がいるそうですが、
私は膠原病と診断されていたわけでもなく、
妊娠する前に人間ドックにいって自分が健康と確信して妊
娠に臨んだこともあり、あまりにも予想外というか寝耳に水というか。
私の場合、あえて病名をつけるなら
膠原病のシェ-グレン症候群だそうで、
自分でも自覚症状がないというかわからないくらい
その症状は微々たるもので気づきませんでした。
でもSS-Aという抗体は私の中に存在していました。
そのせいで次男は完全房室ブロックという心臓病になってしまいました。次男が心臓病と診断されたくさんの医学書を見て調べましたが、
SS-A抗体を持っているお母さんから
心臓病の子供が産まれる確立が高いことは
もうお医者さんは周知の事実ですよね。
であれば、なぜこういった事実を妊娠を望む女性に
情報提供し検査する選択肢を与えてはくれないのでしょうか?
以前産婦人科の先生に聞いたところ検査費用が高いと言われました。検査費用が高いなら情報だけでも
提供して検査するかしないかは
本人の選択によるようにすればよいのではないでしょうか?
それには費用だけでなく道徳的な理由の
問題も山積みなのでしょうが、
実際この事実に直面した私の望む形は
情報提供だけはしてほしいということです。
私は次男を愛しています。大切な大切な宝物です。
でも本当に今までそしてこれからも
沢山の試練を乗り越えなくてはいけません。
もしかしたら私のようなパターンで思いもかけず
心臓病にならなくてもよかった子が
心臓病にならなくてもすむような方法があるなら・・・、
そう願わずにはいられません。
投稿: MINAMI | 2009年11月14日 (土) 20時21分
こんばんは。
先日体調を崩してしまい、セミナーに参加できず、残念でした。死産を体験された方からお話を聞けるという貴重な研修だったのに・・・
始めまして。先生の研修には何度か足を運ばせていただいています。助産師5年目になります。
最近思うことは現場はすさまじく忙しく、毎日慌しくて。1人1人のケアをこなすだけで勤務が終わってしまいます。そんな中、お母さんの不安とゆっくり関われることもなく、マタニティーブルーの様な不安いっぱいのまま退院されていくお母さんもたくさんいます。とは言っても、病院にいる4,5日間だけでは、100%のケアができず、むしろ、1日の中でお母さんと関わっている時間って・・・1人5分もないかも・・・(涙)。このまま地域に帰って不安のまま子育てしていくことになるのは私達の責任だって思ってしまいます。
でも現状ゆっくり関われる暇もないです。
自分自身や同僚、心身ともにみんな疲れ果てています。助産師って素敵な仕事なんですけど、それ以上に大変な仕事。やりがいの大きさと引き換えに、ストレスも大きい仕事。
大変ですね~
でも先生の言葉に癒されます。いつもありがとうございます☆☆
投稿: PONTAYA | 2009年7月22日 (水) 23時16分
竹内先生 初めまして。37歳の主婦です。
2006年2月22日に娘を出産しました。産まれてから18トリソミーと言う事が分かり、重篤の状態で1~2日もつかどうかの命と宣告されました。でも本当に良く頑張ってくれて2ヶ月間でしたが沢山の可愛い娘との思い出を残す事が出来ました。お空に旅立ってから娘を丈夫で元気に産んであげられなかったことを悔やみ次の子供を考える余裕はありませんでした。主人も同じ辛い思いをしてるはずですが、私の気持ちが落ち着くまでそっとしておいてくれました。最近になって次の子供を考える余裕が出来てきた矢先に、先月妊娠が判明しました。主人と喜びつつもどうなるか分からないので何とか育ってくれるといいねと話していました。今週月曜日検診に行った所、心臓が動いていないのとのう胞が出来ているということで流産と判明しました。8週目でした。ちびちゃんが亡くなったと言うのがショックでしたが、担当の先生が娘の18トリソミーの件もあり染色体の異常だろうから死亡した胎児の染色体の検査をしなさいとの事で、染色体検査の出来る大きな病院を紹介するからとあれよあれよと言う間に決まり、今日その病院へ一人で行って来ました。流産の手術もしなければならないので、なんのためらいもなく診察を受けました。ところがそちらの先生が、染色体検査を受けようと思った経緯は?と質問され、亡くなった娘のこともあり先生から検査をすすめられたのでと答えるとそれでは駄目ですよ。ご主人と一緒に聞かれたのではないんですか?ご主人とよく話し合った上でということであればやりますが。お金もかかりますし、胎児に異常があればお二人の検査もする必要があります。今後の夫婦生活にも関わってくる大事なことです。また来週ご主人と一緒に来て下さい。と言われました。私は深く考えていなかったことを反省し、ちびちゃんが亡くなったことよりも検査云々の話が広がっていてとてもとても疲れました。両方の先生のお話は分かります。担当の先生はきっと今回も染色体異常を危惧されて検査をとのことだと思います。では何か治療すれば治るものなのか?でも自分の体質をしるべきなのか?もう大混乱になり以前から拝見しているこちらへメールをしてしまいました。<おかげさまで書いているうちに少し落ち着きました。>
子供は欲しいと思っているので、また妊娠を目指してもし妊娠して流産をしたらその時に検査を考えてもいいのかなと思えてきました。今日主人と話してみます。
ながなが書いてしまい申し訳ございませんでした。またブログの方拝見させて頂きます。失礼致します。
投稿: じゅんこ | 2009年7月10日 (金) 17時28分
先生、はじめまして。一昨日、偶然このブログを知り、一気にすべてのメッセージやコメント等読ませていただきました。私は41歳の2児の母です。2月に次女を本格的な陣痛からは1時間20分という超安産で出産しました。ただ・・・次女は21トリソミー、ダウン症をもって産まれてきました。
教員生活も20年を過ぎ、今まで『どんな命も大切。いらない命なんてない。』『障害を持っている人もみんな同じ大切な命』と生徒たちにも保護者の方々にも同僚同士でも言って話してきましたが、今回の次女の出産で、いかに自分自身が建前だけの人間だったか、口先だけの教師だったか、この2か月余りで嫌というほど知らされました。『命』について語る資格のなかったことを恥じました。
私は今回の妊娠がわかった時点で嬉しくて嬉しくてたまりませんでした(一度目の妊娠で流産しているので)。妹は(長女がダウン症)おなかがぽっこりなった頃「お姉ちゃん。検査しないの?」ときいたそうです(この会話も覚えていないくらい妊娠に浮かれていました)。「生まれた時は生まれたときよ。」がこの時の私の答えだったそうです。妊娠5か月~胎動も感じ始め、誰からも「おめでとう」の言葉をいただき幸せいっぱいの時期でした。『どんな子が生まれても育てていく』そう思っていました。でも、どんな子=健常児と思っていた、と・・・今、思います。次女がおなかにいた10か月本当に本当に幸せでした。
妊娠がわかって、今年(2009年)の1月までは長女を出産した産院(一度目の妊娠・流産をした病院)で「順調ですよ。」と言われ続けていました。35週の検診でエコーの画面を見ていた先生がいつもと違う表情で何度も何度も計測しはじめました。そして「紹介状を書くので市立病院で検査してもらって。」と。その時の説明は『四肢短縮症の疑い』があること。不安な気持ちで市立病院の予約を取り検査をしました。市立病院では「先の病院では羊水が少ないって言われなかった?」と何度も聞かれ、そして、そのまま市立病院で出産。その日は偶然にも初めての妊娠の時、流産がわかり手術をした日でした。私は亡くしてしまった子供が帰ってきてくれたようで嬉しくて「今日はいままでの人生で辛い日だったけれど、この子が産まれてきてくれて嬉しい日に変わりました。」と分娩台を囲む助産師さんや先生、看護士さんたちに言いましたが、誰も「そうですね。」とも「よかったですね。」とも言われませんでした。今、考えてみると次女が産まれた直後の助産師さんや先生がたの表情も「おめでとう」と言う感じではありませんでした。きっと次女の誕生直後から『ダウン症』であることがわかり、どう声かけしてよかったかわからなかったのかもしれません。そして、生まれた次の日に『ダウン症』であること、血液検査をしてくださいと告げられました。お祝いにきてくれた人たちも笑顔が戸惑いの表情に変わる、辛い苦しいお産入院でした。
退院して、家にある育児書を見ると・・・羊水検査等の出生前診断のこと、ダウン症の起こる確率(40歳を過ぎると90人に1人)など詳しく書いてありました・・・。私、全然気にしていませんでした。読んでいませんでした。それくらい妊娠が、長女に妹ができることが嬉しくて幸せだった。私と妹のように大人になっても支え合える姉妹ができるとうれしかった。・・・そして、そこに次女がいるのに、すでに出産しているのに、『何で検査をしなかったんだろう』『検査して中絶しておけばよかった』『なんで病院で検査のこと言ってくれなかったの』『妹もこんなに苦しいならもっともっと検査したらって言ってくれたらよかったのに』『長女一人でも十分幸せだったのになんで2人目を望んだのだろう』『いっそのこと出産時に母子ともに死んでしまったら良かった』『私の無知で障がいのある子を産んでしまった』『次女のせいで私の夢はみんなみんな壊れてしまった』・・・こんなことばかり考えていたら~私の心が壊れました。その先には『次女と一緒に死んでしまいたい』『早く楽になりたい』『死にたい』・・・もちろん主人や長女のことを考えると死ねる訳でもなく~夜、眠ることも出来なくなり、笑うこともできなくなり、涙も出なくなり~苦しい、悔しい、辛いばかりが頭の中で駆けめぐり~今、心療内科の薬のお世話になりながら生活しています。長女の時にはあんなにこだわり2歳半まであたえた母乳も1か月ももたず(もちろん私が薬を服用するので与えられないのですが)とまってしまいました。
2か月たった今は、少しずつほんとに少しずつ、次女のことも受け入れられるようになり『障がいがあっても愛情もって育てていこう』『4人になった家族を大切にしよう』『ちゃんと笑っていられるママになりたい』『私は命を生んだのだ。中絶して命を殺さなかった』『生まれてきてよかったと次女にも思ってもらえるママになりたい』と思えるようになりました。次女を愛しいと可愛いと思えるようになりました。いろいろな検査の結果、ダウン症児の多くが持つ合併症も(心疾患や甲状腺の異常等)、今のところなく安心しています。これからの次女の、家族の将来や人生を考える時、たくさんの不安感や絶望感を感じる時、心が揺れて揺れて苦しくなります。でも、きっと幸せもやってくると、笑って生活することができると~信じてこれからも生きていこうと思います。
もうすぐ最愛の母の七年忌です。母は62歳という若さでこの世を去りました。わかった時には余命1年もないという末期ガン。長女の私を頼ってくれて、検査入院後は私のアパートでの自宅介護の生活。そしてホスピスでの3か月。家族に見守られて静かに、本当に眠るように目を閉じました。その母がいつも私に言ってくれた「あなたを美人に産んではやれなかったけれどあなたの『笑顔』は最高って思うよ。いつも『笑顔』を忘れない人でいてね。」という言葉通り、無くしかけた『笑顔』もきっと取り戻して、2児の母として、妻として、復職したら先生として、生きていこうと思います。
先生のメッセージ~あなたは あなたのままで そのままで いいのです~に救われました。ありがとうございました。
投稿: まりり | 2009年4月27日 (月) 15時37分
26週ではじめての娘を臍の緒が足に2重に巻きつき死産し4か月が経ちます。918グラム、30センチの主人に似たとてもかわいい女の子。前日までおなかを元気に蹴っていてただ眠っているような娘に、どこが悪かったのか見当もつきません。最近娘の弟妹のことを考えはじめました。そしていろんなサイトで検索しました。死産後の妊娠・・・同じことはまた繰り返されるのか。2度も臍の緒が巻きつく可能性はかなり低いと医師は言いました。でも次々に知ることになる色んな原因にもとても恐怖があります。無力症、剥離、無脳症、次は何が自分に起きるのか強い不安で躊躇もしています。そしてある産婦人科医師のコメントが決定的でした。
後期の死産は繰り返さない確率が高いけど、中期となると話は違うと話していました。私は中期ですよね。手足の長い子でした。きっと動き回りすぎたんだ、胎動に酔ったことがあるくらいだもん、って自分に言い聞かせてきました。ご経験から何でもいいからお話していただければ嬉しいです。
投稿: HhH | 2008年12月 2日 (火) 22時36分
初めまして。私は、愛知県の総合病院で勤務いている助産師です。
以前、看護協会で竹内先生の講義を受けてから、竹内先生の文献や本を読ませていただいています。
先日、ブログにアップされていた妊婦さんの脳出血の件ですが、産科に関わる医療者として胸が痛みます。ただ、報道を全て鵜呑みにしていてはいけないと感じています。
厳しい状況の中でも、出来るだけの医療、ケアを提供しようとしたスタッフにねぎらいの言葉をかける機会もなく、事件として扱われ、そして、マスコミが騒ぐ。それでは、今の救急医療はよくはならいと思います。私たちが潰れてしまいます。
1月から、手術室に異動になります。それは、緊急時に少しでも役立ちたいという気持ちと、生命誕生のプレッシャーから逃げるのかもしれません。8年目の助産師として、これからどのような道に進むか、今、考えています。
また、研修等で竹内先生にお会いできる日を楽しみにしています。
寒くなってきました。風邪など引かないようにご自愛ください。
投稿: 理恵 | 2008年11月10日 (月) 21時42分
竹内先生、はじめまして。
1月に34週で待望の次男を死産しました。
その後どれだけ泣いて過ごしたでしょう・・・。でもやはりまた赤ちゃんが抱きたい。でもそう望んでいいのだろうか。
私は筋腫の手術しました。その3年後やっと一人目ができました。もちろん帝王切開です。でも癒着胎盤でした。術後ヘルプ症候群にもなりました。そしてその2年後妊娠。予定帝王切開を待たずに子宮破裂により死産です。先生は1年明ければ妊娠しても大丈夫と言う方。もうやめたほうがいいと言う方。一人目のときは子供は2人が限界とも言われました。
自分でも次があるとすればリスクは高いのは承知です。いろいろな人、主人であれ上の子であれ負担をかけるでしょう。そしてまた子宮破裂をしたら今度は自分の命が危ういかもしれない・・・。そうまでして望んでいいのか・・・。でも上の子をお兄ちゃんにしてあげたい。そして私自身生まれ変わりではないけれど、でも赤ちゃんを抱きたい・・・。
無事に産めるという保障はなくてもやはり欲しい・・・。
でもまた同じことになってしまったら・・。あの子が助けてくれた命を・・・。産んだところの先生に聞いても大丈夫じゃないとしか言いません。MRIまでとったのにわからなかった。自己血をとるために1週間ごとに病院に行っていたのに。今となってはやるだけのことをしたと思いたい。でも入院していたら・・・とか。すみません。愚痴のようになってしまいました。
私が竹内先生に伺いたいのは子宮破裂を起こした方でも再度妊娠出産できるのでしょうか?私は次は4回目のカイザーになります。ちなみに次男は緊急でしたので縦でした。
投稿: ちょび | 2008年5月 2日 (金) 20時42分
竹内先生
ご無沙汰しております。
11月18日に東峯で出産しました赤澤です。
先生はファンがたくさんいらっしゃるので、覚えていらっしゃらないかもしれませんね。
私は今回、高プロラクチンと診断されて、薬を飲んだ末の妊娠でした。なので、喜びよりも不安が大きく、妊娠がわかった当初は毎日が不安で仕方ありませんでした。そんな中、東峯の女医さんは割りとサッパリした方が多かったので、不安な気持ちをバッサリと切られることも度々あり(笑)、病院変えようかな・・と思っていたところに、竹内先生の診察を受け、ものすごく安心し、この病院で生もうと決意しました。以来、妊婦検診に行くたびに、竹内先生を指名させていただきました。
竹内先生の診察時の第一声は、「どうだ?」から始まり、「何か聞きたいことはあるか?」で終わります。
とにかく、相手のことを受け入れてくれるスタイルが私にとっては、本当に安心できるものでした。
そして、「〇〇しても大丈夫でしょうか?」などなど、不安に思っていることを質問すると、いつも「赤ちゃんが元気だから、大丈夫」と言ってくれました。
それは、私にとって安心材料でもあり、ある意味、「赤ちゃんが元気でいられる範囲で、自分自身で責任をもって行動しなさい」と言われているような気がして、自分自身の体と赤ちゃんに耳を傾けながら、妊婦生活を過ごせたように思います。
出産の日は、あいにくの日曜日で、竹内先生に担当していただくことはできなかったのですが、本当にすばらしい出産を体験することができました。
私は陣痛開始から22時間かかっての出産となり、最後は体力も消耗しきって、陣痛が3分おきにしかこなかったのですが、それでも、赤ちゃんの心拍は正常だったため、当日、担当してくださった助産婦さんが「ゆっくり赤ちゃんが出てこようとしているのは、きっと何か理由があるのだろうから、このペースで頑張りましょう」と言って下さり、そのペースで休息→いきみを繰り返しました。
結局、生まれてきたとき、息子の首には臍の緒が二重にからまっていたそうで、そのために、なかなか出てこなかったそうです。
もし、私の陣痛が早くきすぎたら、赤ちゃんが臍の緒で首を絞めてしまって苦しかっただろうし、私自身もいきむ体力が残っていなかったと思います。
助産婦さんも「人間の体って本当によくできているね」と言ってくれましたが、本当に赤ちゃんと手と手を取り合って、出産したんだな・・と思えました。
見えないところで、赤ちゃんが私のことをいたわってくれ、私も赤ちゃんのことを助けていた。
本当に感動的ですばらしい体験でした。
確かに陣痛は痛かったし大変だったけれど、そう思った瞬間、22時間の苦しみなんて、あっという間に忘れてしまい、こうやって、赤ちゃんと思いやりあいながら出産できるのだから、可能なら何人でも子供を産みたいなぁって思えました。
そして、こんな風に思えるのは、竹内先生をはじめ、病院のスタッフの方々のおかげです。
本当にありがとうございました。
今月で4ヶ月になった息子は、おかげさまで、毎日、すくすくと育っています。
これから、病気になったり、大変なこともたくさん出てくると思いますが、出産の日の感動を忘れずに、息子との生活を大切に育んで生きたいと思っています。
そして、また、機会があれば、竹内先生に診ていただいて、出産できれば嬉しいなぁと思っています。
乱筆、長文ですが、感謝の気持ちを伝えたく、メールさせていただきました。
先生の益々のご活躍をお祈りしております。
投稿: 赤澤 理恵 | 2008年3月26日 (水) 23時48分
はじめまして。
私は助産師を目指す学生です。
死産を経験されたお母さんや早くに赤ちゃんを亡くされた方の援助について考えています。
勉強してみると、いままで、死産について、医療者はどこか目をそむけていた背景があることがわかりました。
そしていまそれが大きく変化していることもわかりました。
そこで、多くの文献には、死産・新生児の死、とひとくくりに書かれていることに疑問をもちました。
どちらの死も、同じようにお母さんには愛するものを失ったという喪失感があり、赤ちゃんは生きて、亡くなったという事実があり、医療者として、お母さんや家族の気持ちに寄り添って、同じ時間を過ごすことは何より大切だと思います。
でも、その2つの間には何か違いがあるのではないか。と。
しかし、答えは見つかりません。
あまりにも、わからないので、違いなんて考えなくてもいいんじゃないか、とも思ってしまいましたが。
先生のお考えが伺いたいです。
投稿: MWの卵 | 2007年6月 8日 (金) 19時33分
先生ご無沙汰しております。一人目の男の子を先生に胎盤早期剥離で悲しい形でしたが、とりあげて頂き5年が経ちます。
その後3歳とまもなく1歳になる二人の娘が授かり、この二人も胎盤早期剥離でしたが、元気に大きくなっています!
最近、上の娘が「ヒロちゃん(お兄ちゃんの名前です)今笑ってるよ!」とか、「お昼寝する時、来てくれていい夢見るんだよ~って言ってくれたよ」など話してくれます。
お兄ちゃんが、お空で見ていてくれると知ってからは、娘は多少のことでは泣かなくなりました!!
きっと先生と出会ってなければ、こんな話子どものタワゴト・・・と流していたかもしれません。
先生が、息子と時間にしてはもちろん多くはありませんが・・・しかし、しっかりと正面から向き合わせて下さったので、今私も娘の心の目を通じて、息子の優しさや成長を感じ、楽しめるようになりました(*^。^*)
月日の流れは、何かを忘れるためだけではもったいない!
5年経った今、あらためて先生との出会いに感謝しています。
10年後、20年後と自分と家族の人生これからが楽しみです!!
投稿: ゆみ | 2007年5月16日 (水) 22時24分
初めて書き込みをさせていただきます。
先日、先生が大阪の府立母子センターで講演をしてくださった時に、お話を聞かせていただきました。
私は結婚で大阪に来まして、以前は東京に住んでいました。
東京にいる時に、先生にお会いできていたらよかったのになと、本当に思いました。
ところで、先日の講演で室伏選手の言葉の引用がありましたが、その出典先を教えていただけないでしょうか。
先生から伺ったことを妊婦さんたちに伝えていきたいなと思いましたので。。。
お手数ですが、よろしくお願いします。
投稿: sanba884 | 2007年3月10日 (土) 21時29分
先生こんばんは。11月26日(日)に、岐阜県各務原市の講演会後にお話を聞いていただいた者です。その節はありがとうございました。あの時は直接お目にかかれるとは思ってもみなかったため、突然でお話することもまとまっておらず、自分でも何をお話したのか思い出せないくらいで大変失礼しました。全然うまく話せなかったのですが、ただ先生にお礼を伝えたくて、それが出来ただけでとても感激しました。お話しましたとおり、私は二年半ほど前に初めての妊娠で21週の時に流産をしました。その病院の対応は「なかったことにしましょう」というような感じのもので、私も突然のことにどうしたらいいかもわからず、言われるままに何もかもが過ぎていってしまいました。あの時はショックのせいか悲しい気持ちのせいなのか、自分の意思というものが全くなくなってしまっていて、自分が自分でないような感じでした。今ならもっとこうしただろうにと思うことばかりで、特に赤ちゃんに会わないでお別れしてしまったことは後悔してもしきれません。周りの人もみんな腫れ物に触るような感じで、私のことを思って言ってくれている言葉とわかっていても、私の心が楽になるようなものは少なく、すべて自分のせいだと毎日泣いてばかりいましたが、その後「赤ちゃんの死を前にして」を読ませていただきとても心が救われました。その赤ちゃんは男の子でしたが、その後授かった子(現在9ヶ月)も男の子で、あの赤ちゃんがお空から戻ってきてくれたのかなぁ、それとも別の赤ちゃんなのかなぁ、と思ったりしています。最初は赤ちゃんの死を受け入れられていなかったと思うのですが、先生の本を読ませていただき、赤ちゃんときちんとお別れは出来なかったけれど私なりに少し心に整理をつけることが出来ました。本当にありがとうございました。どうかどうか、悲しいお産をされた方の心に寄り添ってくださる病院が増えるようにと願っています。講演での「あなたはあなたのままでいいのです」という言葉はとても温かく心に響きました。ありがとうございました。
投稿: きょうこ | 2006年12月 1日 (金) 00時04分
竹内先生、はじめまして。
私は、今年7月、初めて授かった赤ちゃんを亡くしてしまいました。予定日を目前にした、39週での死産でした。陣痛らしき痛みがきて、いよいよ会えると楽しみに入院準備を待って産院へ向かい、すぐの診察で心音がとれませんでした。妊娠経過は何も問題なく、直前に受けた健診でも異常はなく、本当に突然でした。
お世話になったのは、先生が以前お勤めだった産院です。
私のような悲しいお産になってしまったケースに、医療従事者の方は、出来ることならば関わりたくないと思って普通だと思うのです。しかし、心を寄せて積極的に関わって来て下さる方が多く、対応はとても温かかったです。
赤ちゃんは、畳の部屋で静かに産まれて、すぐに抱っこさせてもらいました。赤ちゃんを真ん中に、親子3人での写真も撮っていただきました。手型・足型も残しました。赤ちゃんとの思い出を作る様々な方法のアドバイスがあったおかげで、私の手元にはたくさんの大切なものが残りました。アルバムも作りました。今回のお産が、悲しいだけではない大切なものになりました。
退院してから、インターネットで、先生の本「赤ちゃんの死を前にして」を知り、すぐに購入して読みました。そして初めて、先生の取り組んでこられたことが今も受け継がれて、私を支えていただいたことがわかりました。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
退院後も継続して関わって下さっている助産師さんの、「この先も一緒に・・・」という言葉が、今の私の支えです。竹内先生と、一緒にお仕事をされたことあるそうです。
お会いしたことはありませんが、とにかくお礼を伝えたくて書かせていただきました。
お忙しいと思いますが、お身体大切に。ますますのご活躍をお祈りしています。
投稿: さとみ | 2006年10月23日 (月) 13時53分
先生、こんなことになってるなんて教えてくれてもいいのにーーーー。と思いつつ先生の生き方に感激!あたしもがんばらなくっちゃって元気がわいてきた。先生、体に気をつけてね。
投稿: San | 2006年8月31日 (木) 00時50分
山本さん、おめでどう。
同じ、誕生日に生まれてきてくれたお子さんは、
お産に立ち会ったご主人にも、大きなプレゼントをくれましたね。
日々、戦争だけど、平和でな日々。よかったです。
投稿: 竹内 正人 | 2006年6月21日 (水) 10時14分
5月に書き込みさせていただいた山本です。
遅くなりましたが、出産報告!!!!ってご存知だと思いますが・・・5月11日。予定よりも15日も早く無事男の子(3186g)を出産しました。この子も偶然が・・・私と誕生日が同じなんです。出産にはパパが立ち会ってくれて・・・意識が変わったらしく、育児を手伝ってくれるようになりました。でも上の子も1歳になったばかり・・平日は戦争です。先生のブログも見れず・・・今日になってしまいました。たまにある静かな時間。とっても幸せな気がします。。。二人が泣き叫んでいても幸せなんですけどね。。一人起きそうです。。。ではまた静かな時に・・・
投稿: 山本 | 2006年6月20日 (火) 15時01分
竹内先生、はじめまして。
偶然このブログを見つけ、楽しみに拝見させて頂いております。
私は「生きること」や「命について」ということを、特別に意識して生きてきたわけではありませんでした。どちらかというと、「時の流れに身を任せる」、という表現がピッタリの生活だったと思います。ごく普通に学校へ進学し、就職し、結婚し、子供が生まれその子供が成長し、最後は主人と二人に戻って生活するのかな…、という人生を描いており、実際結婚し子供が生まれる、というところまではその通りでした。
しかし、生まれた子は21トリソミー、つまりダウン症という障害を持って生まれてきました。ダウン症の告知を受けたとき、目の前が真っ暗になり、夢を見ているような気持ちでした。なぜ私が…、この子の将来はどうなってしまうのだろう…、きっと不当な差別を受けるんだろう…、と毎日涙が止まらず、ショックのせいか母乳もストップしてしまったことを覚えています。この時の私は、うまれたばかりの赤ちゃんを見て、「一緒に死のうか…」といつも思いつめており、とても我が子を受け入れられる状態ではありませんでした…。
しかし、家族の支えや、インターネットを通じて同じような思いをしている方が多いことを知り、かなり元気づけられました。
これから先、まだまだ不安は残りますが、どうやって生きてゆくかは私自身の生き方によるのかな、と思っています。ダウン症の告知を医師から夫婦で受けた後、主人は「これから、色々嫌なことや、理不尽な差別を受けたり、他人からかわいそうに、といわれることがきっとあると思う。でも、僕たちはどんな家族よりも幸せになろう!」と言ってくれました。これからはその言葉に身を任せて生きていけばいいのかな…と思っています。くじけそうになったら、また先生のところにコメントしにきます。
投稿: ぱある | 2006年6月 5日 (月) 12時45分
はじめまして。今日初めてこのブログを拝見し、そして投稿させていただきました。
今、わたしは二つの”命”について直面しています。一つは最近症状が進みつつある認知症の父、そしてもう一つは自分の不妊についてです。
父の認知症は、年齢が80を過ぎていることもあり、ある程度の老いは仕方ないと思って在宅介護しているのですが、最近はひどい妄想にとらわれ、夜中に家を飛び出しそうになったりして、対応の難しさに考えさせられる日々です。やはり自宅で看るには限界があるのだろうか、でも今まで頼りがいもあり優しかった父なので、最期まで幸せに家族と過ごしてもらいたい、と葛藤を感じています。ただ、日に日に衰えていく父を見ていると、人間て何のために生きていくのだろうか、今の父にとっての幸せや尊厳とは何なのだろうかと思います。
もう一点自分の妊娠の可能性についてです。たまたま縁が無く、42歳の今まで子供を作る機会に恵まれませんでしたが、このたび現実として考えられるようになっていざ産婦人科を訪ねたとき、開口一番”その歳では非常にリスクも大きいし、はっきり言って難しいでしょう”と言われました。自分でも年齢的に半分諦めてはいたものの、やはりお医者さまから言われると、死刑宣告を受けたような気分で2,3日立ち直れませんでした。何を見ても赤ちゃんに結びついて涙が止まりませんでした。今も完全に立ち直ったわけではありませんが、これからも生きていかなければならない以上、なんとかポジティブに考える道を模索しているところです。
なんだか愚痴だけを書いてしまったみたいでお恥ずかしいのですが、”老い”と”誕生”の問題を一度につきつけられた5月でしたが、このブログに出会い、先生の温かいメッセージに触れ、また、色々な問題と闘っていらっしゃる方々の文章を読んで、少し元気が出たような気がします。ありがとうございました。
投稿: そら | 2006年5月31日 (水) 17時13分
私は、4年前の6月に先生に思いもかけない形で出会いました。一番辛い時、家族と常に前向きな先生がいてくださった事で、色々受容でき、前に1歩踏み出せたと思っています。
その後、娘(現在2歳7ヶ月)も先生に発見(?)して頂き、不安の多いマタニティー期も、先生の特技や笑顔に励まされました。
今は、3人目の大切な宝がお腹におります。現在28週です。
心配の気持ちは、やはり拭いきれませんが、先生の本の息子の写真を見る度に母として、1人の人間として心が強くなる思いです。
今日は、先生のブログ発見し、かなり嬉しいです!!
投稿: ゆみ | 2006年4月15日 (土) 17時00分
初めまして。竹内先生には入院中に大変お世話になりました。このブログのことは双子のお母さんから教えて頂きました。前置胎盤と切迫で長く入院していました。日赤は2院目でした。竹内先生は私の担当ではありませんでしたが回診でお会いしました。何時生まれても仕方の無い状態でしたが先生にお腹を触って頂き「大丈夫だよ、いけるいける!」と笑顔で言っていただきまるで先生が私にとってその時は「神様」の様にみえました。あれから1年・・・。今は女児の母として何とかがんばっています。まだまだ駆け出したばかりですが主人と力を合わせ、笑いあり涙あり、眠さあり、の生活です。またメールさせて頂きます。ブログも拝見させて頂きます。ではまた。
投稿: 母親1年生 | 2006年4月15日 (土) 16時34分