102. 募集: あなたの「いのちのブログ」
ブログがはじまり2ヶ月、さまざまな立場の方が、さまざまな状況で読んでくださっていること、
本当にありがたく思っています。
わたしは わたしが感じたままをここに書いていますが、
「いのちのブログ」では、あなたが感じていること、伝えたいこと、
あなた自身のことなども、もっと聞かせてほしいと思います。
たった一言でも、そして、どんなことでも結構です。
さあ、コメントをクリックして、あなたのことばを書いてみましょう。
あなたのままの「いのちのブログ」、教えていただけると嬉しいです。
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コメント
竹内先生、初めまして。
私は一昨年の7月7日に長女を臨月で死産しました。
原因は分かりません。
妊娠経過はずっと順調にきていて何も問題は無く、先生にもいつ産んでもらってもかまわないと言われていました。
亡くなるまでの経過をよく覚えてるのですが、初めてNSTをした時に、正常範囲内であるが、心拍が早めと言われました。
38週の妊婦検診時はNSTの結果もよく、胎動もしっかりあったのですが、その翌日からパタリと胎動が無くなりました。胎動を感じないのは気のせいかな?とその日は過ごしたのですが、そのまた翌日になっても一向に胎動を感じる気配が無く、病院に電話をし、受診をしました。受診時、NSTをした結果はいつもの心拍を100点とすると今日のは100点ではないと言われました。先生2人で超音波の結果等も診てくれましたが、先生達も胎動が無いのは、何が原因なのか分からない様子で考えた結果、翌日再び受診してとの事でした。
そして、再び翌日受診したところ、赤ちゃんの心拍は停止し、亡くなっていました。先生は昨日、入院をさせようか、翌日再度受診にしようかで迷ったと話をされました。
そして、37週の時に逆子である等の理由で帝王切開なり、分娩をしていたら、この子は助かっていたと言われました。
分娩後、胎盤等を検査してもらいましたが、特に異常はありませんでした。(胎児の解剖はしていませんが。)
先生には、次の妊娠はいつしてもらってもかまわないといわれました。
そして昨年、予定日までは怖くて待てなかったので、37週で誘発分娩をしてもらい、長男を無事に出産しました。
そして現在、32週の妊婦です。今年は長女を亡くした時に、同級生になるはずだった子達のママさんの出産ラッシュで、また私だけ生きている我が子を抱く事は出来ないのではと当時の思いがよみがえってきて毎日不安にかられています。
今日受診をして、今回初めてNSTをしました。結果、心拍がやや早いとの事でした。断定はまだされていませんが、お腹の子は女の子のようです。
私はまたやはり長女の時のように今回も無事に出産が出来ないのでしょうか?
今回は予定日まで待とうと考えていましたが、今日の受診の結果で、また長男の時と同じように37週での誘発分娩をしてもらおうと考えています。
どうにか無事に赤ちゃんを産みたいです。
まとまりのない文章ですみません。
投稿 未羽ママ | 2008年6月28日 (土) 02時34分
先日の健診で無頭蓋症と診断され、GW後入院の予定です。現在16週でまだ、自分の気持ちの整理もつきません。
久々の連休なのに何も手につかないです。どうなってしまうのか・・。不安です。
投稿 じゃすみんみん | 2008年5月 4日 (日) 15時30分
私は、約4年前先生が葛飾日赤にいらした時に女の子を出産した者です。
何を話せば思い出していただけるでしょうか?
娘は、胎児エコーで心臓病を発見して頂き、搬送等の関係もあり帝王切開で出産しました。
三尖弁閉鎖症と胎児の時は説明を受け、数度の手術が必要であると聞き、
手術を受けながら、生きていく事が受け入れられず、このまま治療をしないで欲しいと
先生方にお話し、出産後先生方と長い時間お話をしました。
先生は、親としては気持ちは理解できるが、助かる可能性のある命をそのままにする事は医師としてはできない。
とおっしゃり、私の言う事に決して強く否定せずに諭してくれました。
小児科の先生や小竹先生、私の両親等向かい合った中で、
ストレッチャーに寝た私が真ん中におり、先生に沢山話を聞いて頂きました。
思い出して頂けましたか?
娘は、昨年春5度目の手術で目標のフォンタン手術を受け、
春からは幼稚園にも通える事になりました。もうすぐ4歳です。
成長の遅れ等もなく、見た目は心臓病だとはわからない位体格もいいです。
私も、彼女の手術を終え落ち着き、2人目を妊娠しました。
現在、妊娠6ヶ月で日赤に通っております。
当時の先生は変わってしまい、出来たら元気な娘の姿も見て頂き、
二人目もやはり病気がないか、不安も大きかったので先生や小竹先生にお願いしたかったです。
先日詳しいエコーをしてもらいましたが、今のところ大きな病気はなさそうとの事でした。
私が出産以来、娘の病気に対してかなり前向きになったのも
あの時、徹底的に思っている事全てを先生に聞いて頂いたからだと思います。
先生は強く否定したりせず、優しく聞いてくださり、私の気持ちを大事にしてくださり、本当に感謝しています。
長い時間、話に付き合って頂きとても幸せな環境であったと思っています。
先生と連絡を取れる場所を見つけ、お礼とご報告がしたくメールさせて頂きました。
長々とすみません。
お忙しいとは思いますが、先生もお体を大事になさってください。
そして、沢山の命を支え続けてください。
投稿 R.F | 2008年3月31日 (月) 15時39分
先生はじめまして。
私は婦人科で看護師をしています。
小さな医院ですが、毎日中絶希望の女性が来られます。
学生だから、もう2人いるから、相手が違うから・・・
院長のポリシーもなく、事情もあまり聞かずに来るもの拒まず処置されます。
出産後にめぐり合った理解のある職場。
院長もそのこと以外はいい先生です。
頼りにしてくれる患者さんもいます。
でも。
人として・女性として、子どもをもつ親として、納得できないことが多々あります。
精神的になんだかとても後ろ向きになるんです。
私は一体どうしたらいいんでしょう。
投稿 ふわふわ | 2008年2月 7日 (木) 21時45分
竹内先生、はじめまして。
先生のブログ拝見させていただいています。
先生のブログにたどり着いたのは
私が人工死産を経験したからでした。
不妊治療の末初めて授かったわが子は
妊娠初期からNTを指摘されていました。
そして羊水検査の結果18トリソミーだったことがわかり、
悩みに悩み、話し合い人工死産を選択しました。
それからはまるで地獄のような毎日でした。
毎日泣いて、人にあたって、ねたんで、ひがんで・・・
人前に出ることは出来ないときもありました。
こんな自分に気付き、自分を許せなかった・・・
でも、先生のブログをみて
なんだか肩の力が抜けたんです。
あ~私は私のままでいいんだって・・・
こんな自分も、今は許してあげよう、
こんな自分も人間らしくていいじゃないかって・・・
楽になったんです。
だからお礼が言いたくて投稿してしまいました。
先生、ありがとう。
先生にはお会いしたことはないですが、
本当にありがとうございます。
私は看護師をしています。終末期、急性期を経験し、
今回の自分の経験も何かの意味があるんじゃないかと
思っています。
命の誕生の奇跡と、人の尊さ、生きていくことの意味、
そして人の最後の命の深さ・・・
私にはたくさんの命の感性が芽生えたのではないかと。
先生、命ってすばらしいですね。
愛しいですね。
私は命を常に考える人間でありたいと思います。
誕生する命や、生きることに必死の命を私は
応援したい。
もうすぐ最期を迎えようとしている命にそっと
寄り添いたい・・・
私は私のままでいい。
先生の心のある言葉たちが、たくさんの人に届くことを
願います。
投稿 すずきのひげ | 2008年1月24日 (木) 18時14分
はじめて投稿します。竹内先生にはクリニックにて約1年前にカウンセリングにて面会させていただいたものです。
いつか投稿しようと思いつつ、やっとその時がきたみたいです。
二人目を希望し3度流産、治療をすべきか&不育症の原因検査をすべきかなど、ゆっくりと絡み合った糸をほどいてくれるかのうようにお話を聞いてくださり、うれしく思い竹内先生のあたたかさに感動いたしました。その後、少しあの時の不安に変化があるものの、ある一つのことにやはりひっかかってしまいます。「いのち」の安易さと重さです。
4年前から二人目が欲しいと思い、当たり前にできるものとして何度もトライをし、先生いわくたとえ8週でも赤ちゃんは自分のところに3人来てくれた、でもこの世に生まれることはできなかったのです。先生がお話ししてくださったことをもとに、一人の息子の将来を考えると夫婦の染色体検査はしていないのですが、のち不育症の原因を調べたら、原因がある&ないの2つの見解をお二人の専門医からつきつけられました。もし、自分が赤ちゃんを生き抜かせることができない体であれば、簡単に新しい「いのち」を生み出してはいけないのではないかと、思ってしまうのです。まさに「いのち」を生み出す安易さと重さです。
友人に一人目の息子の洋服などすべてあげたりして、表向きには「なるようにしかならない」と見せかけていながら、赤ちゃんを抱くお母さんをみればまだ正直恨めしく、すでにいるかけがえのない存在である一人息子とわかりつつ向き合えずうわの空・溜息をもらす時、何とかもう一度授かって無事健康な赤ちゃんをと希望する自分がいます。でも反面また失ってしまうのであれば簡単に希望してはいけないのではと「いのち」の重さに苦しいです。
先生とお会いしたとき、考えるこの時間が重要であるとお話しされていました。本当に、このつらい経験は色んな事を教えてくれたように思うのですが、気持ちが落ち着くような前進はできていない気がするのです。日々楽しく過ごすことが重要?と思いながらも、上辺だけの楽しさで心から楽しめない現実があります。一人息子の為にもそんな日々から早く抜け出したいと思うのですが。。。(忘れるつもりはないのですが、浄化される時は来るのだろうかと思ってしまいす。)
結局先生とお会いした頃と心の痛みは変わっていないのかな・・と書きながら思いました。
「いのち」の誕生は奇跡的でこの世に生まれるべくして生まれてくるのですね。最後まで生き抜けなかった赤ちゃんたちも何かを教えてくれているのは確かです。でもこの世のすばらしさを一緒に楽しめる家族が欲しいものです。
先生もし何か今の自分にお言葉をいただけるのでしたら、うれしく思います。
投稿 tomoko | 2007年12月 3日 (月) 23時09分
竹内先生、こんにちは。
初めてお話させていただきます。
私は去年の11月に第一子を38週1日で出産しました。
体重は2860g、身長は49cmでお父さん似の男の子でした。
妊娠中は7ヶ月に入った頃からお腹が張りやすく、37週までウテメリンを服用していました。
お腹の張り以外は特に異常なことはなく、健診ではいつも「活発な赤ちゃんで、心臓も元気です」と言われていました。破水してから2日経っても陣痛がこないので、医師に子宮口をマッサージしてもらいました。それから30分後くらいで陣痛がきて、その8時間後に出産しました。
赤ちゃんは元気だったのですが、私の体が衰弱していたので赤ちゃんのことも考えて、吸引分娩での出産となりました。
しかし、赤ちゃんの頭が下を向いておらず少し横を向いていたため、引っかかって出にくい状態だったようです。
医師と看護師が交代で私のお腹を体重をかけて押して、吸引されて苦しいお産でした。
もう少しで赤ちゃんに会えると思うと「頑張ろう!」と力をいっぱい振り絞りました。
しかし、赤ちゃんは産声をあげませんでした。
後に私の血液検査で分かったのですが、赤ちゃんは胎児母体間輸血症候群で重度の貧血状態だったそうです。
出産から10分後に大きな声で泣きました。
医師から「もう大丈夫」と言われたので安心していました。カンガルーケアをして、体重や身長を測定してもらって…ここまでは何の異常も見られなかったそうです。
私がLDRから病室へ帰って30分ほど休んでいると、看護師が車椅子を持って「主治医からお話があるのできてください」と言われました。出産直後の私を動かすということは、赤ちゃんに何かがあったのかな?看護師に聞いても何も答えてくれません。新生児室に連れていかれると、保育器の中で苦しそうに呼吸する息子を暗い顔で見つめる看護師や医師がいました。一通りの測定を終えて、息子を見ると呼吸が苦しそうだったので酸素濃度を調べると70%しかなかったそうです。
大きな病院に緊急搬送することになり、私の両親が付き添って行きました。
私は産院で一人(里帰り出産だったので主人が到着するまで時間がかかりました)不安な気持ちで待っていました。
すぐにでも赤ちゃんの所へ行きたいけれど、今は自分の力で歩くこともできない…何もできない自分が情けなくてつらかったです。
息子が搬送されてから2時間後に搬送先の病院から私を連れてくるように、という連絡が入りました。
NICUには子供の両親しか入れないというのが決まりらしいのですが、かなり厳しい状態なので例外ということで私の両親も入室が許可されていました。
医師の説明によると、原因は不明だけど重度の貧血状態で搬送時は酸素濃度が70%と低かった。産まれてから5時間経つが尿も出ていない。血圧は最高━最低の差がほとんどなく(昇圧剤を投与していましたが血管はぺたんこだったそうです)20~23mmHgでした。
心臓はX線写真をみた限りでは異常はない。CT検査も実施したかったが今の状態では危険なので脳の状態は分からない。
血液検査の結果を待って、輸血をしましょうということになりました。原因が分からないので対症療法しかできないと言われました。主人がいつ頃に到着できるかをしきりに心配されました。このままの状態から抜け出せなかったら、かなり厳しい状態なので覚悟しておいてくださいといわれました。
主人と義両親が到着したのは出産から9時間後でした。
息子の状態は良くも悪くもありませんでした。主人と二人で保育器のガラス越しに話しかけるとうっすらと目を開けて私たちの方を見てくれました。お腹の中にいる時から声は聞いてるから覚えてたのかな?二人で抱っこすることもできました。実は主人が到着するまでにも何回か抱っこさせてもらいました。看護師さんの提案で「家族3人で写真を撮りましょう」といわれたのは良かったです。あの時は悲しみと不安とで嬉しいとはおもいませんでしたが、今になっては宝物です。
主人が到着して4時間後に亡くなりました。きっとお父さんに会いたかったのだと思っています。最期は私が抱っこして看取りました。亡くなった後、看護師さんに呼ばれました。「沐浴をお父さんとお母さんにしてもらった方が赤ちゃんも喜ぶと思うので…」といっていただけました。これも今では思い出の一つです。看護師長さんが「赤ちゃん抱っこさせてね」と来てくださったのも嬉しかったです。「今日は寒いからね、ちゃんと暖かくしないとね。」とおくるみを直してもらったのは涙が出るくらい嬉しかったです。
外の世界では半日しか生きることができなかったけど、お腹の中で過ごした9ヶ月間は何ものにも代えられない宝物。「私をお母さんに選んでくれてありがとう」です。
先日、息子の一回忌を迎えて少し心の中でいろんなことが整理できてきました。でも、まだ息子の死に納得ができたわけではありません。「胎児母体間輸血症候群」は原因不明なことが多いと言われました。一度この狂態の赤ちゃんを出産した人で二回目も胎児母体間輸血症候群を起こした症例はないと言われましたが、原因不明なのにそう言いきれるのかな?と不安に思います。もしかしたら次の出産でも子供を亡くしてしまうのではないか?と考えてしまいます。
遺伝的なものでもないといわれましたが、妊娠するにあたり実施した方が良い検査とかあるのでしょうか?
そして、未だにこの病気の起こる過程というか、胎盤と赤ちゃんとの関係がどうなって起こっているのかがわかりません。良ければ教えてください。お願いします。
投稿 ゆなママ | 2007年11月30日 (金) 18時40分
4人目の女の子を出産されたお母さんのお産に一番上の6歳になるお姉ちゃんが立ち会いました。
そのお姉ちゃんはお母さんの3人目の出産のお産にも立ち会いました。
その時に彼女がお母さんに言ったことばは「お母さん、赤ちゃん産む時すごーく痛いけどお母さんが3人赤ちゃん産んだから私も3人産むね。」
そして今回、妊娠中から「お母さん、赤ちゃん産む時は痛くて大変だけどがんばってね。」と何度もお母さんを励ましてくれたそうです。
そして、今回のお産に立ち会って、「お母さんは私の時もれいちゃんの時ももなっちゃんの時も(2人の妹のこと)この赤ちゃんの時もすごく痛いのにがんばって産んだね。私も4人産む!」
自分の性を肯定的に受け止めていてステキだなと感じました。
6歳にして彼女は立派な女性です。
なんだかとてもうれしくなってコメントさせていただきました。
投稿 ゆりかご | 2007年10月19日 (金) 23時54分
竹内先生初めまして。私は重度の妊娠高血圧症候群になり、27週3日755gの男の子を出産しました。NICUに入院し、動脈管開存症を克服して順調にいっていると思った矢先に生後11日目に緑膿菌に感染し、肺炎を起こして亡くなりました。先日四十九日を終えた所です。
同じような体験をされた方がどのように毎日を過ごしていらっしゃるのか、どのように乗り越えようとされているのか知りたく、誕生死や病院の現状に関する書物などいろいろ読みました。
先生は誕生死を経験した家族を対象のセミナーを9月に開いていらっしゃったんですね。もう少し早く知っていれば参加したかったなぁ…。でも私は大阪なのでちょっと無理でした。。大阪近郊ではこのような集いが無いようなので残念です。
第二子を授かりたいですが、また高血圧症候群になりそうで怖いです。尿淡白やむくみが出ており血圧も上が195まで上がりました。しかし体重や塩分管理は問題ありませんでした。
高血圧症候群になる原因は不明と言われていますが、自分で管理できる体重や食事管理を徹底しても発症する人は発症するんでしょうか。また早産で生んで、また死に至るのではないか(死因は早産のせいではなかったですが)また葬儀など親に迷惑をかけるのではないかと思うと怖くてしかたありません。高血圧症候群は心がけ次第で回避できるものなのでしょうか?
あまり死産・誕生死について世間で取り上げられる事はありません。先生のようなセミナー、集いが今後多く普及して、同じような苦しみを持つ家族の心が少しでも癒されていけばいいなぁと思います。
先生のブログを私のブログにブックマークさせて頂いて良いでしょうか。
投稿 ゆか | 2007年10月19日 (金) 21時15分
竹内先生
お久しぶりです。
以前妊娠5ヶ月の時にコメントしたmimiです。
9月28日に元気な男の子を出産しました。
妊娠中はつわりに苦しみ、心の病になり、何度消えてしまいたいと思ったことでしょう。でも、お腹の赤ちゃんがこんな私のお腹に宿ってきてくれたことは、何か意味があり、きっとこの世に産まれたいと願っていると思い、何とか産むまでは命を繋がなくてはと思いました。妊娠5ヶ月あたりから相性の合うメンタルクリニックでカウンセリングを受け始めたことも、頑張って産もうと思えるきっかけになったのかも知れません。
出産は陣痛から子宮口全開までスムーズでしたが、そこから赤ちゃんが下りてこなく、助産師さんにお腹を押されて押されて・・・やっと産まれました。なんと、首2回、足と手の4重にへその緒が絡まっていたようです。そんな状態でも健康に無事に産まれてきてくれたことは、やっぱりこの子は産まれてくるべきして、産まれてきてくれたとしか思えませんでした。
まだまだ気持ちが不安定になったりして、カウンセリングなどの治療が必要ですが、赤ちゃんの誕生と共に新しい自分が産まれたと思い、一緒に成長していけたらと思っています。
妊娠中にすべての友達との連絡を切ってしまい、主人以外の身内のことも信じられなくなってしまって「1人ぼっち」状態ですが。。。
竹内先生にこのブログで私のコメントにお返事いただいたこと、そのほかの先生のコメントに本当に救われました。先生のおかげで、私と私の赤ちゃんのいのちのリレーができたと言っても過言ではありません。救っていただいてありがとうございました。これからもこの素敵なブログ続けてください。
P.S
世間では産婦人科医のことがいろいろと取りざたされていますが、私の通っていた病院は先生も助産師さんも素晴らしい方たちばかりでした。弱い私を何度も励ましてもらいました。竹内先生や私の主治医のような人がいるってことが世間にも分かってもらえたらイイのですが・・・ね。
投稿 mimi | 2007年10月12日 (金) 19時57分
医療従事者さんこんばんは
>本人に症状はなかったのですが、
胎児にとって苦しい徴候がでました。
このケースは、仰臥位低血圧症候群で
帝王切開になったのでしょうか?
というのは、胎児に影響があるような低血圧では
母体にも、症状がでると思うからです。
赤ちゃんが苦しくなったのは、別の理由があるのでしょう。
帝王切開後の赤ちゃんの状況がよければ、
仰臥位であったことは、予後には影響を
およぼさないでしょう。
お母さんの気持ち、聞いてあげてくださいね。
投稿 竹内正人 | 2007年9月 4日 (火) 23時49分
いつもブログを拝見させていただいています。
今回は先生に質問があって、書かせていただきました。
仰臥位低血圧症候群について、です。
先日、仰臥位(セミファウラーでなく)の体位で数時間過ごされた、分娩前の妊婦さんがいらっしゃいました。
本人に症状はなかったのですが、
胎児にとって苦しい徴候がでました。
結果
緊急帝王切開術となりました。
それを産後、心身ともに安定された本人から
赤ちゃんの予後について質問がありました。
仰臥位低血圧症候群による、妊婦や胎児への血流減少を阻止するために、体位の工夫は産婦人科に携わるスタッフにとって当たり前のことです。
産まれてきた赤ちゃんにとって
予後はどうなのかといった文献を見つけることができませんでした。
当の本人は、緊急帝王切開となった経緯やそれによる予後を知りたいという気持ちが強い方です。
もちろん、自分とその子どもに関わることですから
事実を知ることは当然の権利です。
その話を聞いた者として
できるだけの情報提供をしたいと思いました。
もし、先生がなんらかの文献をご存知でしたら、
教えていただきたいと思って、コメントしました。
よろしくお願いします。
投稿 医療従事者 | 2007年8月28日 (火) 10時24分
先生初めまして。いつも拝読しています。
無脳症と診断された第二子の息子と、昨秋18週でお別れしてから、上の娘の子育てに追われ、悲しい、苦しい、辛い気持ちを現実世界ではあまり表現できないまま、ここまできました。
湧き上がる感情に蓋をしたせいなのか、アルコール依存はだんだんと進行していきました。まずいなぁという自覚がありながら行きつ戻りつを繰り返していました。
5月の連休に夫の実家に帰省したとき、義母に
「○○(第一子娘)がかわいすぎるから早く『2人目』が欲しい」
「○○さんも下の子との間にトラブルがあったけれど(次の子は無事に生まれ育ったし)大丈夫」
とピースサインしてニッコリ笑顔で無邪気に言われ、その場は何と答えたか覚えていません、部屋に戻って、息子の火葬の時以来、人前で泣き崩れました。
2人目の子はもう出産したんです。
義母からは思い出させてしまってごめんなさい、とピント外れに謝られてその場は終わりましたが、後日「早く元気になってと念じています」とメールが届き、追い詰められどうしようもなくなりました。
夫から再三言動に本当に気をつけてくれと義母は言われていましたが、そのメールの件で夫がまた電話をしたときに、私のことを
「そんな弱い子だったんだ」
と苛々した口調で言いました。
私が聞いていることを知らずに義母が言った言葉です。
きっと私はそこで何かがぱちんとはじけ、アルコール依存と鬱が進行し、離婚を、死を考えるようになりパニックの症状がでるようになりました。
専門家に相談する気はなかなかおきません。
なぜなら、義母が臨床心理士だからです。
心療内科も精神科も、自己否定されない時間を買うだけ、抗鬱剤はその場しのぎ、と思っています。アルコール依存なのに泥酔した状態で抗鬱剤を大量にうっかり飲んでしまったら危ないと思っていることもあって足が遠のきます。
私には自殺をした友人がいますが、その人がどうやって自殺までに至ったかを、七回忌を終えた今改めて友人に蒸し返してもう一度詳しく教えてもらって、自分の状態と照らし合わせてみたり、自分の状態をやっと友達に話すようになりました。
そこで家族に、友人に、助けられ踏みとどまって今に至ります。
私の信頼する主治医は「せっかく授かった命なのですから」と無脳児の息子をそのまま自然に出産することを暗にすすめました。母体保護法に遵守しているのでどんな中絶も一切行わない方針だと診断と共に説明されました。予後絶対不良の子が育つ大きなお腹を抱えながら上の娘を追いかけまわす自分がどうしても現実として考えられず、私達は中絶を選択しました。今でもその選択はどうだったのかと、日常の選択ですら逃げられるものは逃げていて、地を這うように日々をやり過ごしています。
義父は小児科医で、息子とは義父が勤める病院へ転院してお別れしましたが、喪のケア、はじゅうぶんには受けられなかったと思っています。息子に会い、入院中同じ部屋にいられましたが、担当医からは「無脳児は脳がないわけですから痛み感覚そのものがないです」と言われました。主治医とはあまりにも正反対なことを言われ、今でも混乱しています。
カトリックの思想がある病院によっては無脳児に限り中絶を認めるという話しを後から知って、ますますわからなくなりました。私のお腹にいた子は、子でなくて、人間でなくて、生き物らしきもの、、、、、?
主治医からは義父がいる病院へ紹介状を書くとき、中絶をすすめる内容は書けません、診断を書くのみですと何度か念を押され、私は主治医の方針に従わず、法を犯し我が子を殺そうとしているのだなぁと思いました。
夫からは「引き返せないところまできても、気持ちが変わったら言うんだよ」と言われていたので、最後の最後は私が、私の決断で、自分の子を殺したのだと思っています。
転院したことで、身近に義両親がいるので、入院前から義両親の言葉で何度も何度も心をかき乱され、傷つき、涙を流しました。義父がいる病院へ転院したことを後悔しています。
専門家でもあるはずの義両親に死を考えるほどまでに追いつめられているという、この劇性あふれる話しに自分ではもう笑うしかありません。それでも義両親と会わずに、連絡を取らずに1ヶ月が経てば、どうしようもなかった気持ちは薄まります。
自分達の言葉で自分達の体験を、想いを、話すことは、まだできずにいます。ようやく最近「ともに生きる」という赤ちゃんを亡くされた方の手記本を長い時間をかけて読み終えることができました。
夫が実家へその本と「赤ちゃんの死を前にして」の先生の本を持っていき、私達家族がどういう状況下にあるかを義両親に伝えました。義母は仕事の時はそれこそ一言一句細かく気を使うけれど、仕事以外では、自分は末っ子でお姫様みたいに育ったから鈍感で配慮が足りなかったごめんねと謝っていたことを伝言で聞きました。苦し紛れに、私達の状態を言ってくれれば良かったのにという意のことも言っていたそうです。どこまでも自分に非はないと言う義母が謝っていたと聞いても、私はもう何も感じなくなっていました。
傷ついた言葉の話をしても、言ったことを忘れており驚いていたそうです。
先週末、前々から決まっていた義母の親族達との食事会に家族で出席しました。出席するまで憂鬱で、でも欠席も出席もどちらも嫌で、自分がどうなってしまうかがわかりませんでした。
会った瞬間から動悸がして、義両親と目が合わせられませんでした。
義両親からは腫れ物に触れるような空気は感じますが、それでも何事もなくいつもどおりに接してきて、私は一問一答くらいはできるのですが、それが精一杯でした。
私の精神状態を知っている人が、ごくごくいつも通りにそこにそうしている姿、時には冗談を私にまで言う姿を見たら怒りの感情が湧きあがりました。
こんな気持ちになったのは初めてです。ただそこにいることを怒るだなんて。パニックになるときは、私はあの人たちに笑顔で殺されてしまう、そんな風に思っています。
義父が医療従事者なので、義父がいる病院に竹内先生の本や手記本を届けて、これからもなくならない苦しみが少しでも和らいで欲しい、喪のケアの重要性が広まって欲しいとずっと思っているのですが、義父を通さないとまずいよなぁ、それをするにはまずは義両親と話さなければならないなぁと、頭の中はキレイに整理されていますが、心と行動が追いつきません。
義父は私の状態がかなりよろしくないと感じたようで、病院に行ったほうが良いのではないかと心配しているそうですが、それを夫から聞いた私は驚くほど冷たい心で、今まで気がつかなかったのに今になってその大げさな心配ぶりはおかしいなぁ、私達が今こうして苦しんでいるのはあなたたちの影響は多くあるのに、今度は私達と関わることを避けて、病院へ行けだなんて。
更なる劇的な展開を客観的に見ている自分がいて、やっぱりこの状況は笑うしかないなぁとその日を締めて眠るのです。
夫とは気持ちの共有はできていて、最近の最近、5人家族になってみようかなぁ、とても怖いけれどまた信じてみようかなぁと思うようになってきました。アルコールはもうしばらく摂取していません。不眠でもありません。軽い鬱と、義両親への神経症だと思います。
娘はもうすぐ2歳になりますが、物心つく頃までには義両親へのわだかまりが今より少なくなればいいなぁと思ってはいます。
家族がいがみ合う姿は子供に見せたくない、決して見せてはいけないと思いますが、今は義両親と会うことも話すことも難しいので、手紙やメールで自分の言葉を使って心の内を話し、歩み寄れるかもわからないのにこちらから発信しなければ進まないのかと不安でなりません。もうこれ以上傷つきたくないし、辛いです。頭の中がこんなことでいっぱいで育児が疎かになっており、息子のことを想うこともなく日々は過ぎてゆき、娘にも息子にも申し訳なく思います。
義両親に対して、歩み寄ってもらわなくていいから、少し黙っててもらえますか、と前は思っていたのに、今度は、黙って遠巻きでいられたことに腹を立てている勝手な自分がいます。自分をコントロールすることが全くできません。
時間が解決するのかなぁ。それも違う気がする…。
こんな風に書いたらお気を悪くされるかもしれません。
このままはいやだなぁよくないなぁと思う私に、先生は「そのままでね」と言葉をかけてくださるのか、興味があったのです。興味があっただなんて、ごめんなさい。
私の心はきっと、壊れてしまっています。
専門家に強い不信感を抱いている私でも、先生に正規にご相談に伺った方が、事態は快方に向かうと思われますでしょうか。
どうすれば良いのか、手詰まりになってしまいました。
投稿 くろ | 2007年6月26日 (火) 18時16分
竹内先生、またおじゃまさせていただきます。
昨日は、朝、夫を玄関で送り出した後なぜだか涙が止まらなくなり一人で泣いてしまいました。いままでの結婚生活を振り返ると、どれだけ二人で向き合える時間があったのだろうか、夫婦として家族としてなにか築くことができているのだろうか・・・中絶のため一度も対面せず別れた子供のこと、三度の流産で対面し、手のひらで抱きとめた小さな我が子たち・・・本当に自分が経験したのかと思うような地獄の底をさまよったような時間、それでも・・・何もなかったよりは子供たちと出会えただけ幸せなのだろうか・・・そんなことを考えてしまいました。
結婚記念日だからと、夫も何とか仕事を早く切り上げて、夜9時ごろ帰宅しましたので、久しぶりに一緒に夕食をとりました、でも、気づいたらリビングの床で寝ていました・・疲れているからしかたないですね、正直夫が眠ってしまって、ほっとしました、何か話したら涙が止まらなくなってしまったように思います。
今まで自分の心の内誰にも打ち明けたことがありません、日記なども書くのを止めていました。こんな自分の気持ち形に残すのがつらくて耐え切れないように感じていました、でも、その逆ですね、形にしてみたら気持ちが少し楽になったように感じます。明日、早速日記帳を買いに行ってこれからは日記をつけようと思います。
竹内先生、読んでくださってありがとうございました。
これからの日本の医療が良い方向に向かいますように心から願っております。
投稿 医師の妻 | 2007年5月12日 (土) 23時52分
竹内先生、初めまして。以前から先生の本を読ませていただきとても患者に寄り添って下さる素敵な先生と感じていました。
最近、医療崩壊という問題、本当に深刻に感じています。
夫と結婚して11年になります、丁度今日が結婚記念日です。結婚した頃は大学病院にいましたので、日常の勤務、当直、研究、関連病院ヘの外勤、当直など本当に忙しくいつ家に帰って来るのかという状況でした。7年前からは総合病院で働いていますが、それはそれは忙しい毎日のようです、いつも家に帰るのは夜中です。入院患者さんや外来患者さんの診療、透析室での業務、透析医ですので祝祭日もお正月も関係なくひたすら仕事です、状態の悪い患者さんがいれば緊急透析、呼び出しなど24時間常に拘束されているような状況です。そんな状況でも文句も言わず、自分の使命と言って頑張って来ましたし、私もそんな夫の事や患者さんの事を案じながら毎日過ごして来ました。
しかし、最近夫はとても疲れている様子でもう限界と言うことを頻回に口にします、私も今までなら何とか、少しでも気分転換して頑張ろうと励まして来ましたが、今の夫を見ているとこのまま過労で倒れてしまうか、過労死してしまうのではと言いようもない不安な気持ちになります。そんなにつらいなら仕事辞めて少しゆっくりして、、、といいました。現実には患者さんを投げ出して仕事辞める訳にはいかないよね、、、と、夫
ずいぶん前の話になりますが、結婚して、初めての赤ちゃんを中絶しました、夫は赤ちゃんのことを受け入れてくれませんでした、当時はどうしてなのか理由さえ話してくれませんでしたが、その後三回の流産が続き私たちには、もう幸せな妊娠や出産のチャンスは難しい事が分かりました。最近になり中絶した当時の事を夫と少し冷静に話す事が出来るようになりました。当時、夫は大学病院で働いていましたが仕事や研究に追われる毎日の中、私の妊娠が分かりつわりでどんどん体調が悪くなっていく様子を目の当たりにして、言いようもない重荷を感じて追いつめられ早く消し去らなければという気持ちになってしまった・・・そうです そんな夫の話を聞いてとても責める気持ちにはなれませんでした、赤ちゃんには本当に申し訳ない気持ちです。
赤ちゃんを亡くした苦しみ、悲しみは中絶でも流産でも決してなくなる事はありません
今、全国に体力的にも精神的にもギリギリで患者さんの生命と向き合っている医師はたくさんいると思います。働く側の現状を改善していく事、それがよりよい医療を提供するためにも、よりよい医療を受ける事にもつながっていけるように感じています。
投稿 医師の妻 | 2007年5月11日 (金) 01時09分
竹内先生
初めまして。
現在妊娠5ヶ月の妊婦です。
妊娠初期はかなりつわりがひどく、2ヶ月ほど外にも出れず、眠れず、歯も磨くのもつらいほどでした。
しかし周りは相談しても理解してくれないばかりか、出産・育児のマイナスの情報ばかり言ってきました。
「つわりは精神的なもの」
「つわりなんて。出産の時はおなかを無理やり押されて痛かった。」
「子供生んだあとはもっと大変」
などなど・・・
もちろん心配して言ってくれているのでしょうけど、初めての妊娠で不安になっている私にとっては聞くのがつらかった。それを伝えると
「こっちは気を使ってるのに!なんでそんなことを言うの!」
と怒ってしまったり・・・
18年も喧嘩したことのない大親友とも妊娠初期につわりのことで口論になり、未だ音信不通の状態になってしまいました。精神的にかなり参ってしまい、もう傷つきたくないし、誰かを傷つけたくないので、友達・親・親戚とは連絡をとっていませんし、メールも受信できないようにしました。
夫ともやはり妊娠してからもめることが多くなり、気持ちはすれ違うばかり・・・
妊娠って、「嬉しいこと」「喜ばしいこと」であると思っていたのですが、実際は一人ぼっち、泣く毎日です。なぜ妊娠したのだろう?妊娠って??
妊娠したこと自体、喜べなくなりました。最近では少し胎動のあるわが子を人並みに愛しいと思えないです。
投稿 mimi | 2007年5月 9日 (水) 10時15分
竹内先生はじめまして。
おかよさんのサイトからこのサイトにたどり着きました。
今イギリスに住んでいて、妊娠34週目です。
数日前に超音波検査で異常が見つかり、昨日大きな病院で調べたところ、intracranial cyst頭蓋内嚢胞 porencephalic cyst とゆう結果が返ってきました。
左側の脳が30%ほど無く、生まれてきても重度の障害があるだろうと。
そして、ドクターからは中絶とゆう選択肢も考えておいてくださいと言われました。
インターネットでこの病気についていろいろ調べてみたのですが、ヒットするのは医学文献ばかりでよく分からないものばかりでした。
来週の火曜日にMRIでもう少し詳しいことを調べると言われました。
porencephalic cystとはどのようなものなのでしょうか?
中絶も考えろと言われても、どのような病気でどのような障害があるのか分からなければ、納得した答えなど出せません。
いったい誰に聞けばいいのか分からず、わらにもすがる思いで先生にメッセージさせていただきました。
突然のことだったので動揺していて文中に分かりずらい点や失礼があったかもしれませんが、どうぞお力をお貸しください。
投稿 ラム | 2007年4月15日 (日) 07時23分
竹内先生こんにちは、以前(101 あなたの「いのちのブログにコメントさせて頂いたそらままです。お忙しいのにお返事どうもありがとうございました。(現在5歳の息子と2人の天使ママです。)
2月3日に17週で子宮頚管無力症で流産、死産となりました。
17週での流産でともショックでした。1回目は稽留流産だったので、今回は心拍も確認でき母子手帳も貰え一安心していた矢先の出来事でした。3月10に納骨が無事に終わり気持ちも落ち着いて来ました。
なるべく早くまた妊娠したいのですが、また流産してしまうのではないかと思うととても不安になります。
また、流産する前の日に少量の出血があり病院に行ったのに、流産してしまったのでちょっと病院にも不安があります。
先生からは子宮頚管無力症はなってみないと発見は難しいと言われましたが、インターネットで調べて見ましたが、子宮頚管無力症が発見されて子宮口を縛る処置をして無事に出産出来たとありました。
先生からは、次は縛らなくちゃだねと言われましたが、子宮頚管無力症でも無事に出産出来るのでしょうか?一人目の妊娠の時は何の問題も無かったので・・・・
病院を変えた方がいいのかな?なんて思ってしまいます。
投稿 そらまま | 2007年3月21日 (水) 18時01分
はじめまして。
悩み悩んでいろいろ見ていて、こちらに辿り着きました。
私はもうすぐ38歳になる2児の母です。
今3歳の娘を妊娠糖尿病で出産し、もう十分、と思っていたのですが、妊娠してしまいました。
この妊娠を素直に喜べたらどんなに気が楽だろうと思うのですが、今選択に迫られています。
喜べない理由は、前回妊娠糖尿病になったのでまた同じことになるという恐れ、妊娠出産を重ねるごとに酷くなる尿漏れ、そしてこれらが将来自分の体にどう影響を及ぼすかと言う恐れ、県外に住む認知症の父を2週間に1回は訪ねなくてはいけないのに妊娠出産で身動きが取れなくなるのではないか、それでは父の面倒が見れない、それから、高齢であることです。
妊娠を素直に喜べたら気が楽だろう、だけどその反面、まだ初期の段階に(4週くらいです)無かったことにしたらそれもこれから先の負担が無く楽かもしれない、と思う気持ちがあります。
でも、芽生えた命をどうしたらいいか・・・に行き詰って苦しんでいます。
すべては自分の責任、自分で決めなくてはならない、そう言ってしまえばそこまでです。
私が「こういう理由で悩んでいる」と言ったので相談に行った産婦人科医も淡々と中絶に向けて話を進められました。
先月、母ががんで亡くなりました。
そして、この妊娠、一体なんだろうかと考えてしまいます。
母は第一子を里子に出し、第二子は中絶し、そして私と妹を産み、不妊手術をしました。
私の前に妊娠が二回あったなんて、最近になって父や妹から聞いたもので、母はとうとう何にも語ってくれませんでした。
母は一人で重いものを背負って生きてきたんだと思います。
私もそうなるのか・・・。
私が中絶する理由なんて正当なのだろうか、いろいろ考えて頭の中が混乱しています。
投稿 ふみ | 2007年3月 4日 (日) 22時45分
このブログを訪れている多くの方と同じように、「竹内先生は今どうされているのだろう」と検索してここにたどり着きました。あらためて先生のお人柄に触れる事ができ、とてもうれしく思っています。
覚えてくださっているでしょうか?私は、2005年5月、葛飾赤十字でムスメを出産しました。先生は、潰瘍性大腸炎を抱え「総合病院でのお産を」と勧められながらも「どうしてもここで産みたいんです」という私を引き受けてくださいました。そのおかげで、私はとても幸せな妊娠期間を過ごし、納得の行く形でお産に臨む事ができ、出産を「幸せな体験」と感じる事ができました。あらためて、ありがとうございました。
低体重出産だったムスメも小ぶりながらスクスクたくましく育ってくれています。やんちゃぶりに手を焼きながらも楽しく過ごしています。
先生が私におっしゃった「こうするのがいいと周りが勧めても、あなたがそれを納得していなければそれは幸せなことではないから」という言葉が心に残っています。このブログでいろんな「重いできごと」を見るたび、医療者としての「安心、安全」よりも、私の「幸せ」を大切にしてくださったことがどれほど勇気のいることだったかを感じています(当時はそんな重さも感じさせないほど飄々としていらっしゃいましたが)。
私は、自分の病と付き合う中で、いのちのありようについてずっと考えてきました。いのちのこと、人の力ではどうしようもない事が起こることもある。だからこそ、自分の気持ちに正直に、結果を引き受ける覚悟を持ってお産に臨みたかった。そんなことは先生にはお話しませんでしたが、きっと私の気持ちを汲んでくださっていたのだと思います。でも、私のそういう思いを知っていただいていたなら、短い診察時間の中でももっといろんなことをお話できたのかもしれないといまさらながら思ったりもします。
少なくとも新しいいのちを宿した妊婦さんとそれに関わる医療者とが、いのちのことを少しでも語り合えればいいのになあと思います。
なんだか取り留めなく長々と書いてしまってすみません。ムスメと外遊びに出かけ、いろんなお母さん方と話したり、子どもたちの様子を見たりしていると、いのちのこと、生きることについて、思う事がたくさんあります。私にできる事が何かないだろうかと思いながらも、誰かとそんな思いについて話し合うことさえままならない状況…。ふと、竹内先生とお話したくなりました。
投稿 あや | 2007年2月22日 (木) 21時38分
竹内先生、こんばんわ。
私は、5年前、初めての妊娠で7ヶ月目に入る時、前置胎盤で出血し、赤十字でお世話になったものです。
毎日毎日、いつ出血するんだろうか?
お手洗いに行く度、ヒヤヒヤしながら、3ヶ月すごしました。途中、かなり出血してしまい、2週間入院もしました。
先生の大丈夫!大丈夫!お腹の子は元気だよの言葉にどれだけ励まされ癒されたことかわかりません。
今年の1月に、下腹部痛があり、赤十字に問い合わせして、初めて先生がお辞めになった事を知りました。第2子も、先生に診て頂きたいという希望があったので、竹内正人で何度もストーカーの様に検索し、やっと見つける事が出来ました。
さすがは先生、すごいご活躍ですね。
そして、私の様に、何千人?何万人?と癒された勇気づけられた妊婦がいるんだなと実感しました。
5年経った今、産後から体質が変わり喘息気味になってしまったりと、妊娠出産に対しかなりネガティブになってしまいましたが、先生のコメントを色々と読む内に、また頑張ってみようかなという気になりました。
益々のご活躍、陰ながら応援しております。
投稿 iku | 2006年12月26日 (火) 23時18分
竹内先生、はじめまして。
私は11月29日に男の子を出産しました。息子は生まれてから6分後に小さな命を終えました。
22週の検診でレモン兆候があるから、周産期医療センターそある病院にと紹介状をわたされました。私は看護師でしたのですぐに大学病院の図書館で調べました。染色体異常や低出生体重児の可能性は覚悟しました。しかし、病院での診断結果はポッター症候群。予後絶対不良でお腹からでたら生きることができない、またはお腹の中で亡くなってしまうだろう・・・と。その時点で23週に入っていたので、人工死産は選択できないからお腹の中で亡くなるのを待つしかないと言われました。それから毎週検診に行きました。体重や血圧、尿検査をすることもなく、ただ生きているか確認するだけ・・・。母子手帳の検診の欄が22週から空欄になっていたことがすごく悲しかったです。まだこの子は生きているのに、もう1つの命として扱ってもらえないのか?と怒りがこみ上げていましたが、必死でこらえました。周りの妊婦さんがエコーの写真を持ってでてくるのが嫌でたまりませんでした。
家ではだんだん子どもの話題はでなくなり、周りからはこの状況が長く続かないほうがいい、残念だけど次また頑張れば、若いのだからと言われ続けました。
私は、いくら周りから言われても1日でも長く一緒にいたい。お腹の中で必死に生きている私の子がかわいくて仕方がなかった。それをわかってもらえないならと、だんだん子どもの話題は避け、考えることをやめるようになりました。今思うと、もっといっぱい話してあげればよかったと後悔しています。
そして、36週にはいった時、先生から胎盤劣化から早期剥離の危険もあるから、入院して子宮口を広げる処置・薬で陣痛を起こす方法もあると提案されました。正直、私は1日・1分でも長く一緒にいたかったのですが、話合って37週で入院しました。ラミナリアで処置をして、2日目に入れかえたころから腹痛がはじまりました。助産師さんもラミナリアの刺激で起こることだからとそのままにされましたが、その後6時間、どんどん強くなる痛みに耐えられず助産師さんを呼ぶとそのまま分娩台へ行き、10分後には生まれました。私は、初産でしたから、陣痛がどんなものなのかわかりません。陣痛じゃないと言われたら我慢するしかありませんでした。でも陣痛だったのです。何で分かってくれなかったのか?と怒りもありましたが、768グラムの小さい身体で、一生懸命生まれてきてくれた息子をみたら、喜びがこみ上げてきて、そんな怒りはなくなりました。その日は息子が亡くなった悲しみはなく、生まれてきてくれた喜びだけがありました。その後、退院するまで、家族3人で過ごすことができました。
あとで聞いたところ、ポッター症候群の症例は2例しか見たことがなく、生きて生まれてきたのは初めてだったそうです。私は、これから私のようなお母さん達の励みに少しでもなれればいいな。助産師さん達が話してくれるといいなと心から思いました。ポッター症候群は資料がとても少なく、情報がありません。不安な妊娠生活、ましては初産であれば、情報がないのは、とても辛いことです。私はたまたま「赤ちゃんの死を前にして」を手にすることができ、赤ちゃんが亡くなったあと何をしてあげればよかったか、経験者の方の意見を知ることができ、息子には、たくさんのことをしてあげることができました。死産や新生児死を経験するお母さんがいることは辛く悲しいことですが、なくならないのであればせめて後悔がないようにするための情報が、手助けがあればいいなと思います。
このような症例にあたって、先生方は何て言ってよいのかわからず、大変な思いをしていると思います。私も主人も医療者ですから、先生や助産師、看護師さん側の立場もわかります。実際に経験したことがないのだから、このような時にどうしたらいいかわかるはずがありません。わからないのなら、無理に何か言ってくれなくていいのです。
悲しい思いをしているお母さん、お父さん達にそれ以上の悲しみ、怒りを与えないようにしていただきたいです。
私は、主治医、担当の助産師さん、スタッフの方に大変感謝しています。また、竹内先生のブログ、著書、経験者の方の意見などにも大変勇気づけられています。
いつか、私も経験者として、医療者として、残念だけれども私のような経験をするお母さん達の味方になりたいです。
大変長く書いてしまいましたが、読んでくださりありがとうございました。まだ息子を亡くして1ヶ月で心も身体も回復しませんが、いまの気持ちを聞いてきただけたらと思い、書き込ませていただきました。お体に気をつけてお過ごしください。
投稿 ウリ | 2006年12月26日 (火) 16時58分
竹内先生 はじめまして。
以前から度々こちらへお邪魔しているおかよと申します。
今までにも何度か辛くなり、その度に、コメントを残させていただこうかどうしようかと悩み、結局そのまま立ち去ることを繰り返してきました。
しかし今日は決心して、こうしてキーボードを叩いています。
私は人工死産のサイト http://www15.ocn.ne.jp/~nikomama/
を運営している一経験者です。
1998年に第1子である娘を妊娠20週頃の前期破水により、人工死産の選択を突きつけられ、21週4日でお別れしました。
サイトを立ち上げた当初の目的は、娘のことを「無かったこと」にしたくなかった。忘れたくなかった。・・・だったからでした。そしてどこに向けたらいいのかわからない無念さや悔しさ、怒りといった感情のはけ口を探していたのかもしれません。
サイトを立ち上げて2年半。今までに人工死産経験者の方から数多くのメールをいただき、現在は、経験者のためのサイトでありたいと願って細々とではありますがサイト運営を続けています。
今までに一番辛かったメールは
「今、人工死産するかしないかの決断を迫られている方」からのメールと、
同じような条件下にもかかわらず
「赤ちゃんの命が助かった方」からのメールです。
前者の場合は、私に何らかのアドバイスを求めていらっしゃることがわかるのですが、私はただの経験者に過ぎず具体的なアドバイスは一切できません。ただ、手元にある資料を送ったり医師とよく相談されてくださいと伝えることしかできません。そして同じように苦しみ崩れてしまうことがほとんどです。
後者の場合は、助かった赤ちゃんのご誕生を心から喜び、これからの無事な成長をお祈りさせていただくとともに、もう一方で「もしかしたら私の娘も助かったのかもしれない。それなのに、私は娘を死に追いやったのか。」と、再び自責の念に駆られてしまうことになります。
竹内先生の著書、「赤ちゃんの死を前にして」の58ページに【流産とは妊娠22週未満の妊娠中絶をいう】にも
>>>
例えば、妊娠20週前後での前期破水などで胎児の予後が危ぶまれるケースでは、22週以前にその子の運命を決める話し合いをしなければならないのが現実である。
~中途略~
しかし、「先生の奥さんがこの状況だったらどうしますか」と聞かれると、私はいつもその問いに応えることができず、口ごもり、言葉を濁してしまっている。
今後の経過と予後に関しては、可能性として説明することしかできないが、このような場合、最終的に多くの方が人工妊娠中絶を選択されるのが現状であろう。
>>>
と記されていますよね・・・。
今現在は「22週」という壁が、とてつもなく高く立ちはだかっています。
ですがそれも、1993年以前では1979年に妊娠24週未満の場合を流産と定義され、更に1979年以前では妊娠28週未満だったことから、いつか22週という数字も前倒しになってくるのかなと受け止めてはいました。
それが実際にサイトをご覧になった方から「私の赤ちゃんは助かりました。」というメールをいただく度に、私の心は激しく動揺してしまうのです。
サイトを立ち上げてから、多くの知識を得ました。
多くの出会いがありました。
これこそは、娘が「死して」与えてくれたものです。
ですが、なぜ、娘は死ななくてはいけなかったのか。
なぜ、私が娘を殺さなければいけなかったのか。
8年が経過した今も、その答えが出ないのです。
医療の世界は絶えず進歩しているのですね。以前は救えなかった命が、救えるようになってきたという事実。その片側で、どうしても医療では救えない命があるという現実。
では、私の娘はどちらだったのか。
このままサイトを続けていく自信が、失われていきそうで・・・
すべてを受け止めることが怖くて、逃げ出したくなります。
語弊があるかもしれませんが
「生」が正しく
「死」が悪なのだと思ってはいません。
だけど、いつも悩むのです。
私の大切な天使ママお友達の中にも、全前脳胞症で赤ちゃんを人工死産でお空に還された方が数名いらっしゃいます。
今回のUPされた記事を拝見して、どっと気持ちが溢れ出してしまいました。
失礼がありましたら・・・どうかお許しください。
投稿 おかよ | 2006年12月17日 (日) 14時13分
今日、ひょんなことから先生のページにたどりつきました。
これも何かのご縁、と思い、コメントをさせていただきます。
私は、今妊娠10ヶ月を向かえ、あとは出産を待つのみ。
初めてのお産なのでドキドキです。
先生が書かれた「2」の、ブログを書くきっかけのお話について、先日、分娩予定の病院での母親学級で、産婦人科の先生が同じような趣旨でこの出来事について触れていらっしゃったので、このことについて思ったことを書き込みたいと思います。
(命とはあまり関係ないかもしれませんが・・・(汗))
その先生も、同じように
「医者としてせいいっぱいのことはしていても、それが命にかかわるものである限りは、悲しい結果となることもある、ということを、あらかじめ皆さんにもご理解いただきたい。当然、だからといって私たちが医者としての責任を果たさないということではない」から、
というようなことをおっしゃっていました。
この母親学級で、これだけ医療が進歩していても、年間100名の妊婦さん、そして1000人中4人の赤ちゃんは亡くなってしまう、そしてこの人数は、実は世界で一番少ない、ということを教えていただきました。日本の医療ってすばらしいんですね。
はっきり言って、この講義を聞くまでは、妊婦として、お産をし、母子ともに健康であることが病院に求める当たり前のことだと思っていました。
竹内先生のお言葉を借りるとすれば、まさに「妊婦さん、ご家族と産科医療者との今の関係は、暗黙のうちに「幸せな結果」を前提にし」ていました。
出産時に万が一の事故があった場合、医者がきちんと説明責任を果たす、ということはとても大事なことだと思います。
でも、それ以前に、お産に望む家族全員が、「命を授かる」ことに対する考え方を変えていかないといけないと思いました。
「妊娠したら無事生むのが当たり前、あとは医者がなんとかしてくれる」
ではなくて、
「命を授かるのは私たち、医療はその手助けをしてくれる」
という意識をもっと強く持たないとなーと思います。
もちろん、そこには、お医者さんも私たちに対して誠意を持って精一杯の手出すけをしていただける、ということが前提にありますが。
こういう意識への働きかけを、産婦人科医一人ひとりに行っていただき、そして私たち妊婦もそれを納得する、ということができれば、妊婦および家族と、産婦人科医の先生方との絆もまた違ったものになっていくんじゃないかなーと思いました。
投稿 星野 | 2006年12月15日 (金) 15時09分
竹内先生、とても心温まるお返事をいただきましてありがとうございました。赤ちゃんを亡くした悲しみ癒えることはないと思いながら、去年はクリスマスやお正月が来たのも分からない程でした。今年はクリスマスのケーキを予約しようなど考えることが出来るようになり時間が少しずつは気持ちは落ち着いてきているのかもしれません。
本当は赤ちゃんの一周忌に夫と一緒にお参りしたりエコーの写真など思い出のものを見たりする時間がほしかったのですが、夫はそういう後ろ向きなことはしたくないみたいでした。それ以前に赤ちゃんを亡くした日も忘れているみたいです・・・夫には夫の考えがあるでしょうから仕方ありませんね。
この一年、流産や死産などに関する本をずいぶん読みました。その中でも竹内先生の<赤ちゃんの死を前にして>の本は何度も読ませていただきまして本当に私の心の支えになっています。
時間をかけて少しずつ前向きになれるよう過ごしていきたいと思います。どうもありがとうございました。
投稿 せつこ | 2006年11月28日 (火) 06時45分
はじめまして。
二人目を妊娠中です。何の問題も無く出産できると思っていたのですが・・・。8週の時に切迫流産で安静にと言われ、安静にしていました。出血も止まり落ち着いたと思ったら、14週で水頭症もしくは、脳胞症と診断を受けました。まだ小さいからはっきりとは判らないけど、頭の部分が周りの羊水と同じに黒く映っているのが心配と言われました。
現在19週 4つの病院で診察を受け『全前脳胞症』と診断されました。早い段階での診断なため、人工死産をと、どの病院でも言われました。そして家族からも・・・。どの医師も生まれても生きれない命をお腹の中で育てることは薦めない、またNICUで治療も床数が足りないので、診ることはできないだろう。NICUで診れないのなら、何処の病院で出産しても同じなので、ウチの病院で産まなくてもと口を揃えて言います。
19週にもなると、胎動もはっきりしてきます。人工死産なんて出来ません。どんな結果が待っていようと、授かった命なので、産みたいのですが、医師の言葉が不安を駆り立てます。
最近の医療事故などの影響なのでしょうか?
私は、いったい何処でこの子を産んだら良いのでしょうか?
それだけが、今の不安です。
投稿 サカナ | 2006年11月17日 (金) 21時49分
竹内先生、こんにちわ。初めてコメントを書いています。私は今年7月に吸引分娩しましたが、胎便吸引症候群で出産して9時間後に赤ちゃんを亡くしました。
妊娠中は順調に過ごし、これといって問題もなく無事に生まれてくることを疑ってもいませんでした。
4ヶ月たって気持ちの中には「医師の早い判断で帝王切開してくれていたら」「過強陣痛を放っておかれたのでは」など病院と医師への不信感は消えません。元気に出てこれたはずのわが子に申し訳なくて。今でも悲しみは癒えないけれど
でも、もう前向きに考えるしか方法はないと自分に言い聞かせ次の妊娠へ希望をつなげています。が、その反面また同じことがおこってしまったらどうしようと不安な気持ちも拭いさることができません。
周りに同じような経験をした人もいないし、誰にも相談できずにいます。
もし次に赤ちゃんを授かることがあれば、予定帝王切開をしようと思っていますがどう思われますか?帝王切開もリスクがあることも多少勉強しましたが、もう一度自然分娩をしようとどうしても思えません。
初産でこのような結果になってしまったのですが、次に自然分娩をしたらまた同じことがおきることもあるのでしょうか?胎便吸引症候群で赤ちゃんが亡くなるケースはあまりないと、前回の医師に言われたのですが。
前回の経験で私は陣痛が強く、赤ちゃんがどんどんおりてきていたのに、初産で高齢(36歳)ということも関係あるのか子宮口がなかなか開かず、羊水が濁ってしまったようです。
それと、病院の選び方もわからなくなってしまいました。
前回は、自宅の近くが便利かとそれだけの理由で決めてしまい、本当に後悔しています。自分にあった病院とは何なのでしょうか?自分らしいお産とは何なのでしょうか?
竹内先生のご意見をお聞かせいただけると幸いです。
投稿 ブレンダ | 2006年11月14日 (火) 19時22分
竹内先生、初めまして。私は、昨年、流産とその後お腹の中で赤ちゃんを亡くすという出来事が続きました。
それは、とても悲しくつらい事でしたが仕方のないことですが、夫との気持ちのずれをどうしたらいいのか思い悩んでいます。夫は医師です。いつも冷静であまり感情的になるような人ではありません。流産や赤ちゃんが亡くなったことが分かったときも、残念だけど誰にでも起こりうることだからしかたないね、早く、手術して出したほうがいいね、など教科書に書いてあるようなことばかり言われました。
手術までの数日間、私は毎日、泣いていました、悲しくて胸が張り裂けそうと気持ちをはなすと、何で?と夫は言いました。おぎゃーと産声を上げてからが命でありその前に絶えてしまうということは命とは言えないと思うと夫は感じるそうです。
流産してから身体と心が空っぽになってしまい1年以上が過ぎても日常の生活を取り戻せずにいます。赤ちゃんを亡くした悲しみを夫にも分かってほしいだけなのですが、いくら話し合っても私の気持ちは理解出来ない。と言われてしまいます。やはり、私自身の問題なのでしょうか・・・
竹内先生のご助言をいただけると幸いです。
投稿 せつこ | 2006年11月14日 (火) 14時37分
2003年7月16日に双子(優雅と孔輔(死産))の出産でお世話になった古澤です。
先生が「ブログをはじめました、どうされてますか?」とメールをいただいた後、すぐにインターネットを申し込み(笑)ずっと読ませていただいておりました。
初めて読んだ日はなんだか涙が止まらなくて・・・
ただ元気ですとだけ書き込みたいと思いながら一年以上経ってしまいました。
最近、優雅は私のマネをして孔輔にご飯を持って行ったり、お菓子やアイスを買うと自分の分を分けてあげたりしています。
ある日、優雅の声がしないのでどうしたのかと思ったら、孔輔の居る部屋の戸を閉めて孔輔に何か話し掛けているようでした、私に気がつくとすぐにやめてしまいましたが・・・
何を話したのかは内緒のようです。
三年経って私の思いもさまざまで、あるテレビ番組で「双子の妊娠中のトラブルを最新医学で救った」という実話の再現を放送しているのをたまたま目にしました。
途中からだったのですが、トラブルの原因となる血管をレーザーで焼き切る手術を受け、双子は危機を乗り越え、元気に生まれる。というものでした。
その時、私が最初に浮かんだ言葉は「ずるい」でした。
孔輔だって、助けたかったのに・・・って悔しくて、助かってよかったねってそのときは思えませんでした。私のような思いをする人がいないでくれたらいいのにってずっと思っていたのに、こんな風に思うなんて今思うと悲しいのですが、瞬時に頭に浮かんだ言葉でした。
こんな風にマイナスな気持ちになったのは初めてでした。
普段生活していてよく思うことは、「二人いたらどうしていたんだろう」です。優雅が抱っこしてとか、おしっこぉ等と言ってくるときや、生活しているとよく思います。
どうしているか、答えを出すまで考えるわけではないのですが、大変だろうけど二人でいてほしかった、二人でいさせてあげられなくてゴメンネと思うことが日々の中で一番多い思いです。
また新しいサイトを始められたのですか?先生は本当にすごい!命の大切さを伝えるため、命を守るため、命の誕生、成長を助けるために生を受けてこられたように思ってしまうのは私だけでしょうか?
どうか無理をなさらないで、ご活躍ください。
思いついたことを長々とすみません、また書き込ください。
投稿 古澤希代子 | 2006年9月19日 (火) 01時08分
はじめまして。私の想いを誰かに聞いて欲しくて書き込みさせてください。
私は助産師3年目です。3月に8週6日稽留流産(枯死卵)で流産手術を受けました。
あかちゃんが大好きで助産師になりました。妊娠するのをとても楽しみにしていました。妊娠を知ったときは本当にうれしくてうれしくて大声で「妊娠しましたー!」って叫びたいくらいでした。 本当に天国にいるような気持ちでした。でも、流産してからは地獄の底をもがいている状態です。半年たった今も同じ気持ちです。
助産師の友人に流産したことを話したら「よくあることだから気にすることない」と言われて、すごく傷つきました。初期の流産は悲しくないとでも思っているのでしょうか?
確かに医療者にとっては初期の流産は決して珍しいことではありません。でも本人にとってはよくあることでは済まされないのです。妊娠を知ったその日から気持ちはすでに「おかあさん」になっているんです。それ以来、助産師なんかに相談しても無駄だと思うようになりました。インターネットで同じ経験をした人と想いを共有するほうが心が楽になりました。
多くの助産師がそうであるように、私も流産する前は幸せな普通のお産にしか目が向いていなかったように思います。それでも流産や死産した人の気持ちを少しでもわかりたくて「誕生死」や先生の著書である「赤ちゃんの死を前にして」を読んでいましたが、今思うと、うわべだけだったのかもしれません。流産は悲しいことだと思っていたけど、こんなに辛くて苦しいなんて知らなかった・・・。
でも流産してから気づいたことや教えられたことがたくさんありました。この経験は助産師としては決して無駄ではないと信じています。
本当は辛くて仕事なんて辞めてしまいたいと思っていましたが、あかちゃんがどうして私のところに来てくれて、そしていなくなったのかを考えた時、それはきっと私と同じように悲しんだり苦しんだりしている人のために何かして欲しいのではないかと思いました。
妊娠は楽しいことばかりじゃないく辛い思いをしている人もたくさんいるんですよね。それに気づかせてくれるためだったのかもしれません。こんな思いをしない限りは何年働いたって気づくことができなかったでしょう。
流産や死産、不妊など辛い思いをしている人の心のケアができてこそ、本当の意味での「助産師」になれるのではないかと思うようになりました。他にも思春期教育や更年期の方のケアなど、助産師って奥が深いなと感じています。
自分なりにできることを考えて、流産手術用の退院指導の用紙を作り直したり(今までのは中絶の方と一緒にされていたので)、流産、死産された方のために小冊子を準備したり(病棟のカンファレンスに提案しましたが、流産には必要ないなど、ひどい意見があり検討中です)していますが、他のスタッフとの温度差を感じています。やはり経験した者でなければ辛さはわからないのでしょうか。
ある意味、産科医や助産師は勤務年数が経てば経つほど流産や死産に慣れてしまっている(もちろん、そうじゃない人もいますが・・・)気がします。悲しいですが。
あと私が感じたことは助産科学生時代に流産や死産された方の「心のケア」について学ぶ時間がなかったように思います。(他の助学はあるのかもしれませんが)1時間でも学ぶ時間があったらよかったです。そしたら流産を「よくあること」と言う助産師は減るのではないかと思います。
長い文章を読んでくださってありがとうございました。
朝晩冷え込み、秋風が冷たい季節になってきました。先生もお体にはくれぐれもお気をつけてご自愛ください。
投稿 とら子 | 2006年9月18日 (月) 21時49分
竹内先生、お久しぶりです。3、5、7年前に出産のため日赤でお世話になった者です。(それ以外にも切迫流産や子宮筋腫の手術でもお世話になりました)私はおそらくもう出産することは有りませんが、先日命について深く考えさせられる経験をしました。
8月に入ったある平日の午後、パソコンをしている私の周りで子供たちは遊んでいました。突然、5歳になる娘がロフトに上がるはしごの一番上から転落した(高さにして2.5mはあると思います)のです。目の前で見ていたわけではないので、結果的に「たぶんそうだろう…」と推測するしかないのですが。ロフトにおもちゃを運ぶためはしごを上っていたけど、バランスを崩し落下したようです。
右手を握り締め唸るような声を出し、意識が朦朧として泣かない娘。すぐに救急車を呼び、救急病院に運ばれました。レントゲン、CTを撮り診断結果は…頭蓋骨骨折とそれによる硬膜外血腫、反対側には脳挫傷ができていました。「出血の範囲、量が広がっていれば直ちに緊急のオペになり、後遺症や障害が残ることもある」といわれました。
すぐに主人、両親に連絡をして、祈るような気持ちでICUのベットに横たわる娘の傍らでただ時間が過ぎていきました。
あの時は本当に生きた心地がしませんでした。「私のせいで、こんなことになってしまった。娘に何かあったらどうしよう…」こんなことばかり考えていました。夜にもう一度CTを撮ったところ、状態は初めに撮った画像と比べほとんど変わりありませんでした。「かなり頭を強く打ったから72時間は安心できない」を言われ、一般病棟で様子を見ました。その後1週間ほど入院しMRIも撮影しましたが、「これ位の出血量なら後遺症、障害は残らないでしょう」と言われ退院できました。
しばらく安静にするように指示は出ましたが、子供なので家の中で走り回っています。私はとてもナーバスになり、ピリピリしています。これを書いている今もあの時の様子を鮮明に思い出し、胸が苦しくなります。7歳の息子も事故の一部始終を見聞きしている(入院中は私は病院に泊り込みだったため、他の子供達は実家に預けていた)ので精神的に不安定になっているように思います。ただ、肝心の娘は事故の記憶がないようで、それだけは救いに思います。
元気に産まれてきて当たり前のように生活していますが、親の過失で命の重大さに直面するとは思いませんでした。先生には「あれだけの高さから落ちてこれ位の怪我ですんで助かったのは、本当に強運の持ち主だよ」と言われました。
主人は「1秒たりとも目を離さないで育児をするのは無理だよ。はしごが上れる状態にあったのは、自分にも責任がある」と言って私を責めませんでした。「家族全員が病気、怪我をせず健康に暮らしていければ充分」です。その割には毎日怒ってばかりいる私…反省してます。この事故で主人、両親、友達のありがたみ、あたたかさがとても身にしみました。
先生もお体に気をつけて世界の人のためにガンバってください。陰ながら応援しています。
投稿 おこりんぼママ | 2006年8月31日 (木) 03時07分
はじめまして
誰かに教えて欲しかった事、聞いて欲しかった事書き込みます
4年前に不妊治療の末、双子を妊娠・出産しました
5ヶ月を目前に(安定期の響きから5ヶ月突入すれば安心と思ってました;)切迫で入院となり、以後37w4dで出産するまで病院生活でした
入院中はいつでも医師に見てもらえる安心感がありましたが、”普通にお産できない”=”駄目な私(妻・嫁・女)”と言う思いが強く、いざ出産と言う段になって帝王切開に踏み切れませんでした
医師からは帝王切開を勧められましたが、看護婦さん達の経膣分娩で大丈夫じゃない、頑張ろう!!的な支持もありその日を待つ事にしました(36w頃よりウテメリン・マグネゾールの使用を止めました)
陣痛がはじまり陣痛室へ移動した直後、陣痛の痛みよりも後頭部が猛烈に痛みだし私の記憶は途切れました、、、子癇だそうです
”普通にお産”したい、もう体験する事が無いかも知れない我が子の誕生を体感したい(この時の私には帝王切開はしてもらうもので、自分で産むと言う感じでは有りませんでした)
”普通に””自然に”この言葉に惑わされ帝王切開をとりやめたが為に、母子共に危ない橋を渡ってしまいました
幸いな事に陣痛室には主人が付き添っており、白目を剥いて泡を吹く私は直ぐに医師にみてもらうことができ、第1子を経膣で、第2子を緊急帝王切開で取り上げてもらったそうです
産後は無事で何よりと、医師から子癇について詳しく説明も無く、私も1日も早く我が家に戻りたい一心から特に質問するでもなく病院を後にしましたが、2年後に第3子を妊娠、里帰りで別の病院へかかった所、”良く助かったね、今回は覚悟の上の妊娠だよね、帝王切開ね”と言われ驚きました
多胎だったから、入院期間が長くて体力が無かったからくらいに思っていましたので、、、
”子癇”について情報収集しようと思いましたがなかなか集まらず今に至ります
年明けに知人の奥さんが第2子出産後亡くなられました(詳しくはしりませんが)
”自然なお産”=”自宅出産”、”ゴージャス出産”の様なイメージが先行している近頃ですが、お産の危険な部分に目を向けず私のように安易に判断してしまう人が出ないよう、”危険な話し”もしっかりと妊婦の耳に入れて欲しいなーと思います
産後(私は産後の認識無し)NICUの我が子の写真をICUにて目にしましたが、両親しか入れないはずのNICUで義母が嬉しそうに初孫を抱いている写真でした
看護婦さんたちの計らいで、主人と義母が入室した様ですが、後々(第3子が誕生するまで)まで私の中では”義母に我が子を取られる”と言う感情となってくすぶり続け、義母に対する無意味なライバル意識の元となりました
産後の心のケアーも後の育児に影を落とすので、病院側も配慮して欲しかったなぁ
とりとめもなく長くなってしまい失礼しました
投稿 かじかじ | 2006年7月24日 (月) 17時03分
竹内先生、お久しぶりです!!
一年前の6月に第3子(男の子)を出産しました。上のお姉ちゃん達は現在8歳の双子です。
双子の出産の時は28週で出血、竹内先生に診察して頂き「あ~お母さん、頭が見えてるよ・・・」と言われそのまま入院。以後2週間ベッドの上での生活の後に31週で破水、出産となりました。体重が1400g、1500gと小さかったので2ヶ月の入院となりましたが、現在ではクラスで常に後ろの方です。
第3子の妊娠がわかって初診から竹内先生にお世話になりましたが、私は年齢のこともあり、うかない顔をしていたのでしょう。竹内先生は「おめでとうでいいんだよね?」と心配顔。そして私は羊水検査の事を聞きましたよね。あの時は安易な気持ちで聞いたのではないのですが、今でも頭にひっかかっています。なんで聞いてしまったのか・・・自分では命の選択などできないのに・・・。後に羊水検査はしないと言った時の竹内先生のニコッとした笑顔が忘れられません。
毎回の健診では「大丈夫、大丈夫!」パワーを頂き、前回の出産ではできなかった臨月までもたせる事もでき、その臨月にお姉ちゃん達のバレエの発表会も観ることができました。先生の『大丈夫』はかなり効きますよ~。
そしてbigで生まれた息子と一緒の退院は、私にとってかなり嬉しい事でした。思いがけない妊娠が私の夢をかなえてくれた・・・感じです。
竹内先生がお辞めになる時、ちょうど産後健診で診て頂いたのが最後になりましたが、一年後こうしてまたお会いできました。これからも拝見させて頂き、パワーを頂きます!
お忙しい毎日とは思いますが、お体に気をつけてくださいね。
投稿 emi | 2006年6月30日 (金) 13時22分
meguさん、おたよりありがとうございました。そして、妊娠おめでとうございます。
今、アメリカのメリーランドにいらっしゃるのですね。
言葉の壁はあっても、気持ちはかならず、伝わります。
信頼できるスタッフと、ご家族の支えのもと、自分自身を信じmeguさんらしいお産ができること、
心よりお祈りしています。 きっと、大丈夫ですよ!
投稿 竹内 正人 | 2006年6月 6日 (火) 22時30分
竹内先生、ご無沙汰しております。私も、2004年に女児を出産した際に、毎月の健診で先生にお世話になりました。出産当日も、先生は翌日からの海外出張を控えてお忙しいにも関わらず、分娩室に様子を見にきて下さり、私は、先生のお顔を拝見したと同時に出産への不安がとても、和らいだのを覚えています。
私も、初めての妊娠が流産という悲しい結果でしたので、2度目の妊娠の際も、不安にかられ、喜びを変えることがなかなかできませんでした。でも、毎月、先生が笑顔で「大丈夫!赤ちゃん、すごい元気だよ~」と心音を聞かせてくれるたびに、安心した気持ちで過ごすことができました。診察中のローカルな話なども、とても心が和みました。
このブログを拝見したのは、2年ぶりに第二子を妊娠したことがきっかけでした。現在、私は、夫の仕事の都合でアメリカ、メリーランド州に住んでいます。妊娠が分かり、今日、初めて初診を受けました。今回は、大好きな竹内先生の元ではなく、この地でベイビーを出産しようと思っています。日本との医療の違い、なにより言葉の壁は大きいのですが、竹内先生という一人のドクターを心から信頼して、そして赤十字産院のスタッフのみなさんの献身的なサポートのおかげで忘れることのできないお産ができたように、今回も、ドクター、そしてスタッフを信じて、自分らしい出産ができたらと思っています。
先生も、どうかお身体を大切になさって下さい。先生のご活躍、陰ながら応援しております。
投稿 megu | 2006年6月 3日 (土) 13時07分
竹内先生のブログを楽しみに拝見させて頂いてます。特に、お産をされた方、流産・死産を経験された方などのお話は自分が病院で経験した事も重なり涙が出てきます。
私は普段から涙もろい方なのですが、臨床で働いてた時は、看護学生時代に叩き込まれた「プロ意識」という言葉が頭にあり、また、自分がどうしたら良いのかと言う戸惑いもあり患者さまの前で泣くという事は殆どありませんでした。トイレや誰も居ない分娩室で何度も隠れて泣きましたが・・・。
でも、今思うと「看護師=患者さまを良い方向へ導く立場」という観念に捉われ過ぎてた様に思います。もっと患者さまと同じように悲しみを表出し(戸惑ってる自分も含めて)、一緒に立ち止まっても良かったんじゃないか・・・って思います。
患者さまには一生懸命誠実に接してきたつもりでいましたが、それと同時に今まで私は強がり、自分を必死に守ろうとしていた様な気がして、患者さまに申し訳ない気持ちでいっぱいになり、再び涙が出てきます。
後、1年半後に日本に帰る予定でしたが、私の行きたい学校・コースの関係であと2年間ロンドンで勉強する事になりました。勉強会や病院でのお話等を見ると私も早く助産師として働きたい気持ちでいっぱいになります。正直焦る気持ちもあります。
でも、私がこうしてロンドンに来れたのも、時間やお金、そして何よりも家族やたくさんの人の支えや励ましがあってこそだし、臨床を離れてる間もこうやって先生のブログで患者さまの言葉や先生の言葉に刺激されながら自分なりに、今までの自分・これからの看護観を見つめていこうと思います。
投稿 サクラ | 2006年5月29日 (月) 22時29分
少し介護の話題を・・・。
夫は、入れ歯を作る仕事をしていますので介護にも縁があります。施設やご家庭で寝たきりになってしまっている方に、きちんとあった入れ歯を作ってさしあげると、長い間あまり話さなかったり、死にたいとしかいわなかった方が、入れ歯に対して”文句”を言うようになるそうです。”文句”を言うということは、もっといいものが欲しいとか改善して良くして欲しいということ。その”文句”が聞けるということはすごく前向きな発言であるとのこと。やはり自分で食事をするということは、大事なことで生きる力になるんだなぁと感じました。
投稿 mami | 2006年5月28日 (日) 22時44分
竹内先生はじめまして。
いつもブログを拝見させていただいてます。
私は昨年8月に第二子をエナで出産(帝王切開で)しました。
でも誕生死(死産)でした。
37週6日に息子は私のお腹の中で亡くなってしまいました。
妊娠中は何事もなく経過は順調だったので、かなりショックでした。
しかも二日後には帝王切開の予定日だったんです・・。
でも、息子とは火葬までの三日間ずっと一緒にいることができました。
手形・足形をとり、へその緒をもらい、私が提案して髪の毛と爪もきりました。
オムツ替えや着替えもさせてもらえました。
正直はじめは息子の体がいたんでいくのが心配で病院側に預かっていただくのが普通だと考えていました。
でも助産師さんが「お部屋に置いて一緒に寝てもよいですよ」と言ってくださったのでずっといることができました。
大きな悲しみの中にいるはずなのに、生きてはいない息子を抱きながらとても穏やかで幸せな気持ちになりました。
宿田先生も山崎先生も外来が終わると必ず病室に来てくださいました。
宿田先生には本当にいろんなお話をしてもらいました。
もちろん竹内先生の誕生死のケアのお話も教えていただきました。
今回は残念な結果になりましたが、私は産院に恵まれていたと思っています。
もし、ケアのまったく無い