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102. 募集: あなたの「いのちのブログ」

ブログがはじまり2ヶ月、さまざまな立場の方が、さまざまな状況で読んでくださっていること、
本当にありがたく思っています。

わたしは わたしが感じたままをここに書いていますが、
「いのちのブログ」では、あなたが感じていること、伝えたいこと、
あなた自身のことなども、もっと聞かせてほしいと思います。

たった一言でも、そして、どんなことでも結構です。
さあ、コメントをクリックして、あなたのことばを書いてみましょう。
あなたのままの「いのちのブログ」、教えていただけると嬉しいです。

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コメント

先生、お久しぶりです。
お元気でお過ごしでしょうか。
2006年5月にコメントさせて頂きました、ぷくと申します。
40週までお腹の中で元気だった赤ちゃんを、死産というかたちで亡くしてから、もうすぐ4年が経とうとしています。
先生に話を聞いて頂いた時は、我が子の死から3ヶ月程しか経っておらず、無我夢中で出産に関しての知識を身につけ、何かしなくては、あの子の命を無駄にしないように、何か始めなくては、と必死にもがき、気持ちばかりが焦っていたような気がします。

程なくして、主人の提案で森へ行くようになりました。
森に入って山を登ると、生まれたばかりの命と、死んでいく命の循環のようなものを感じ、生と死は分けられるようなものではなく、常に隣り合っているんだということに気がつきました。そしてそれは、亡くなった我が子と、いつも近くにいられるような、そんな安心感を与えてくれるものでした。
日本の山をいくつか登るうちに、いつしか深い深い森に惹かれ、昨年アラスカ・カナダの温帯雨林を4ヶ月旅してきました。
そして、その時に主人が撮影した写真の個展を開くこととなりました。

http://olympus-imaging.jp/event_campaign/event/photo_exhibition/091112_nogichi/

娘が死んで、人はいつか必ず死んでしまう、ということを実感した私たち夫婦は、これからの人生をどう生きていくか、幾度となく話し合いました。
そして最初に出した答えは、好きな仕事をしよう、という事でした。
仕事は、ひとつのお金稼ぎの手段に過ぎないかもしれないけれど、定年まで働くとしたら、人生の大半を占める大事な大事な時間なのではないかと思い、主人は写真の仕事を、私は花の仕事をするようになりました。
全くの未経験で始めた仕事ですが、お花って、生まれた時のお祝いから、亡くなった時のお悔やみまで、人の一生に関わらせて頂ける素敵な仕事なんです。
この先の目標は、小学校などに出向き、花を使って子ども達に命の授業をすることです。
とは言っても、まだまだ修行中の身なので、そう簡単には叶いませんが。

初めて先生にコメントさせて頂いた頃に比べて、突然の娘の死を、少しずつ受け入れられるようになった気がします。
亡くなったこと自体に意味を求めようとしていたけれど、それ自体は事故だったと、今は思っています。
娘はもう死んだ。そして二度とかえってはこない。
では、これからいったい私たちはどう生きていけばいいのか。
これを一生かけて考え続けていくことこそが、娘の生死の意味なのではないかと、そんな風に思うようになりました。
3年半余り経って、私たちがどのようにして日々過ごしてきたのかを、私たちの歩みを、ただ先生に聞いて頂きたくて投稿しました。

ご多忙かとは存じますが、もし、お近くに足を運ばれるようなことがありましたら、写真展にお立ち寄りいただければ幸いです。私たちは基本的に、ギャラリーに常駐しております。
これからもずっと「いのちのブログ」楽しみにしています。

投稿: ぷく | 2009年11月11日 (水) 01時07分

ながくなってしまい、2通目。TOMOKOですhappy02happy02
先生のところでみたいただき、通院しているときの安心感、4度目の流産という残念な結果を心から一緒に悲しんでくれている竹内先生の姿は、自分に素直にがんばったがんばったと思え、悲しいけど、あたたかい気持ちが残ってます。あらためてありがとうございました。

先生!up私9月9日で39歳の誕生日を迎えました。birthday(先生と1日違いでびっくりです!sign02)30代をふりかえり、31歳に1度でも出産を味わえた感謝とその後何度も2人目をとチャレンジしてきた自分にがんばったなぁsadと思えます。

今のありのままな私は、いのちってこういうものだなぁ~と感じたり、こう流産を繰り返してしまうと希望することに疲れたなぁ、もし自分は産めないのなら、今まできてくれた赤ちゃんたちのいのちの意味を次につなげるために、いのちもってこの世に生まれ出てくることが出来た子供達のために、何かできないかと新しい場に意味を求め、次のステップへすすもうup(あきらめよう)と思ったり。

突然心の底からつきあげてくる悲しいときweepがあったり、「意味があるような(母体には原因はない)」結果に、きてくれた赤ちゃんの意味を次につなげて「もう一度頑張れば、もしかしたら、もしかしたら」と可能性があるかもしれないsign02と思ったり。

そんな時々です。

先生、医学的な質問してもいいですか?
私のような4度の流産のうち2度はもともと命限りある赤ちゃんだった・・自然淘汰なこと、こうも続いてしまうことってあるんでしょうか?
夫婦の染色体異常はありえないということだし、いわゆるたまたま・・・がなぜかつづいてしまってるのでしょうか?
そうすると率直に回数重ねるたびに、年齢も進み(よく言う卵の質は落ちてしまい)流産を重ねるとやはりより確率として難かしくなるのでしょうね?
希望するなら、妊娠はできるわけだから、何度も何度も頑張るしかないのでしょうね?
パワーがいるなぁと思うのは、私だけでしょうか?

どうしても続いてしまう悲しみ、その悲しみも形をかえ、進んでる気はしますが、まだ頑張りたい自分ともう次へ進みたい自分の両方がいます。

『いのちのブログ』heartは、先生&皆さんのメッセージをよませてもらい、前に進んだり、悲しみを感じたり、いつもそばにありました。4度目の流産から、言葉が出てこなかったのですが、同じような経験した方にも読んでもらいたいと思い、やっと書き込みができそうで、書かせてもらいました。

がんばってしまう自分も疲れてしまった自分もこの世に生まれた幸せをかみ締め、40代こんにちは!goodという思いで過ごしたいのですが。

書きすぎました!bleah読んでいただきありがとうございました。お返事いただけたらうれしいです。happy01

投稿: tomoko | 2009年10月 5日 (月) 14時04分

先生、お元気ですか?happy01
ご無沙汰してます。5月に東峯婦人クリニックにてお世話になったTOMOKOです。happy01

4度目の流産になり、胎児の染色体異常の結果、母体の問題ではなく、自然淘汰による生まれ出てくることがきなかったいのちだった事実に対して、「その結果に何か意味があるような」という先生の言葉を心にそっと置きながら、先生と話しがしたい、聞いてみたいとおもったり、二人目を希望する気持ちに疲れたりと気持ちが動くままにありのままな自分でいたら、月日がたっていました。maple

その間、上からふってきたように命についてふと考える機会がありました。。shine

ある日「ぼくはうみがみたくなりました」(著者:山下久仁明)の映画movieを見ました。自閉症児のいきいきとした姿を通して、仕事に悩む若い女性、癌を患う老夫婦とそれぞれの人間を描いていました。

作者は少し表現が過激かもと言ってましたが、
「生物学的にみて必ず1%は必ず障害を持って生まれてくる、100人中1人、99人の健常者はたったの1人の人間にそのハンディを背負ってもらって生きている。自分の背負うべき分のハンディの確率まで背負って生まれてきてくれた100分の1に感謝しなきゃ。だから人間は自分の下に線をひいてはいけない」という台詞。自閉症児の男の子がお腹にいた赤ちゃんと勝手にだぶり、大粒の涙が流れました。cryingcrying
この世に元気で生まれてくることができたいのち。この世に生まれてくることができたけど、ハンディをおって生きているいのち。この世にうまれてくることができなかったいのち。どのいのちもみんな同じいのちで、それぞれに意味があり存在してる、してたと。

また、ある美術の講座を聞きに行ったら、根源的な人間の感性の話となり、興味深かったです。

我々人間は常に予測ができることに安心で、そのために技術を発展させてきた。予測できない状態を出来るだけ避け、とにかくなんでもわからなければならないと思ってしまう。でも自然界では、たまたま・・・こうなった、たまたまここにいるなど偶然なことがある。そして受精卵からある部分は手、足、心臓と役割を担っていくように、プロセスがあって物資を組織化していく生物にはすごい力がある。
人間のわかりたいというあせりに対して、いのちには動じない力があるんだなと自分の悲しい体験があったがゆえに、心から実感する話でした。

私に表現力がなく上手く伝わったか、ひとりよがりな文章になってしまったか、まだ読まれて気を悪くされる方がいらしたらごめんなさい。coldsweats01
ただ、私が感じたようにどなたか読んで感じて共感してくれれば、うれしいとおもって、書きました。

本当に心からいのちの奥深さを感じさせられる2つの出来事でした。だから、今いるすべてのいのちあるものがいとおしく感じられます。

投稿: tomoko | 2009年10月 5日 (月) 13時25分

 竹内先生&竹内先生のブログを愛読しているheart天使ママheartのみなさん、はじめまして。heartHIPPYです。(*´v゚*)ゞ私は3年半前に10週で人工中絶、1年半前に8週で流産、そして3週間前に25週で死産を経験した25歳の天使ママです。

 まずは、私の人工中絶→流産→死産の体験について手短に書かせていただきます。

 3年半前、当時BOYFRIENDだった現夫と出会って半年で発覚した妊娠。夫が北米在住で遠距離恋愛だったため、年に2回ほどしか会えないという針の穴をくぐるほどの可能性しかないにもかかわらず、一発で妊娠。当時22歳だった私は、大学を卒業し、第一志望の内定先の入社式を終えた直後。さあ、これからバリバリ働くぞー!という矢先の出来事を冷静に受け止められるはずもなく、生んで欲しいというBOYFRIENDには有無も言わせず、独断で中絶を決意しました。彼はすぐに航空券を購入し来日。私も一日でも早く中絶をしなければ、と追い立てられるように手続きを済ませ、発覚から1週間ちょっとで手術を受けたように記憶しています。その当時、あまりに若くて愚かだった私は、「命」の意味なんてちっとも考えていませんでした。厳しい両親の元に育った私にとって、「できちゃった婚」なんてありえないweepという頑固な先入観があり、もちろん両親にも相談できず、ひたすらBOYFRIENDを責め、手術費がもったいない、とか、そういう気持ちしかありませんでした。本当に愚かで浅はかな22歳のただの小僧だったんです。

 その2年後に入籍し、その手続きのため、彼が短期間来日していた期間にまたもや妊娠。その時も、「え?入籍したばっかじゃん!」という思いのほうが強く、しかも中絶以来服用していたピルを1日飲み忘れただけでしてしまった妊娠でした。避妊していたにも関わらず出来てしまった赤ちゃん。付き合い始める当初から子どもが欲しかった夫と夫の家族は大喜び。でも・・・・・・私は・・・・・・、嬉しいという気持ちより、戸惑いと不安・・・・。私の両親も私と同様に喜びより戸惑いのほうが大きかったように見受けられました。そうはいっても、産婦人科の診察を受け週数が進んでいくうちに、私は母親として、私の両親は祖父母として、だんだんと赤ちゃんを愛しいと思う気持ちが大きくなり、授かった小さな命を100%受け入れ、誕生を心待ちにするようになりました。その矢先の流産。夫は落ち込み、私がテニスやヨガをしたから、と文句を言ったりしました。でも、お医者さんは初期流産は染色体の異常が原因でどうやって防ぐことも出来ない、とおっしゃっていたので、私は特に気にせず今回は縁がなかったんだ、と意外に冷静に受け止められました。

 そして結婚1年半後、ピルの服用をやめた瞬間に妊娠。この妊娠は私にとっても夫にとっても、「そろそろ赤ちゃん作ろう」という同意のもとに発覚したものだったので、とても喜ばしいものでした。外国の医療制度に戸惑いつつも、たくさんの本を読み、インターネットで情報を集め、はじめてのことだらけの妊娠生活を楽しんでいました。少しずつ大きくなってくるおなか。モゴモゴ動きまくる赤ちゃんの胎動を感じるのが大好きでした。ノリのいいHIP HOPやROCKを聞くたびにおなかのなかでダンスをしてるんじゃないかというくらい動き回っていた赤ちゃん。つわりも軽く、赤ちゃんの成長も順調で、何もかもがうまくいっていました。妊娠中期に入ってからは、夫婦でハネムーンならぬベイビームーンにも出かけ、旅の間中、赤ちゃんに話しかけていました。行き先に選んだカナディアンロッキーでは、大自然の中をのんびりお散歩し、ベビー服ばかりを買いました。また、マイホームも購入し、新車も買いました。私はマタニティリーブ(産休)の手続きもすべて済ませ、出産日まであと3ヶ月にまで迫りました。
 そして・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・、赤ちゃんの胎動が唐突に止まりました。まさか、という思いですぐに超音波検査を受け、心拍が完全に停止しているという事実を突きつけられました。頭は真っ白。心は真っ黒。ハンドバックに入っていた読みかけの小説をひたすら凝視しながら、でもストーリーが頭に入ってくるわけもなく、小さな医務室で一人きり、夫が迎えにくるのを待っていました。そのまま即大きな病院に搬送され、入院。初めての出産。陣痛を促進する膣錠をガンガン入れられ、固く閉じている子宮口を無理やりこじあげ、赤ちゃんは静かに生まれました。もちろん病院側の配慮で個室での分娩でしたが、産婦人科棟で産まれた新生児の産声が、あちこちから聞こえ、惨めで虚しくて何も考えられませんでした。1週間後、火葬を済ませ、小さな赤ちゃんをお空に返しました。

 私が失った3つの命。その命の重みは変わらないはずなのに、私の体験した三度の命の喪失は、それぞれがこんなにも感情が異なり、涙の量が違う。そして今だからこそ分かる、一番最初に失った命の重み。二度目に失った命の重み。人工中絶という選択の辛さ。流産という経験の切なさ。

 今、私は心から赤ちゃんが欲しいと思っています。今まで、こんなにも強く赤ちゃんが欲しいと思ったことはなかった。それと同時に、夫のことも今まで以上に愛しくてたまらないと思うようになりました。辛くて苦しい経験を二人で乗り越えた今、その愛しい人と私との間に二人の遺伝子を分かつ赤ちゃんが欲しい!!!!これって、きっとすごく子宮的な考え方ですよね。野生動物に戻った気分です。中絶、流産、死産を体験し、今後妊娠ができるのか、できたとしても健康な赤ちゃんを産めるのか、少し自信を失いかけています。それでも、今私ができること、温かい子宮と穏やかな心を持つこと、にベストを尽くし、夫に果ての無い愛情を持ち、もう一度、妊娠&出産を目指してみようと思っています。

 手短に、といいつつ、大変長くなりましたが、読んでいただいてありがとうございます。竹内先生のブログも、天使ママのコメントも、一字一句が優しくストンと胸に響くものばかりで、大好きです!皆さんこれからもよろしくお願いします。

heartHIPPYheart

投稿: HIPPY | 2009年10月 1日 (木) 03時10分

竹内先生、こんにちは。
そして、お誕生日遅れましたがオメデトウございます。
48歳ですか。とても、輝いている年代ですね。
7月にセミナーを受講した沖縄の保健師です。
その節は、私自身の体験も聴いて頂き、
励ましや色々なメッセージを交わせて
とても、勇気を頂きました。
私は、保健師になった時から
『当事者の想い』を大事にして来たつもりです。
そして、現在の私の生きる道を支えてくれているのは、
やはりお空のわが子達でしょうね。
先生の『100年後に繋がる種をまきたい。繋がり』等の想い
☆とても共感してます。
そして、その想いを確実に実行されている
先生のアクティブさに感動です。
日々、迷いを感じる事もありながら、
先生や私を支えてくれる存在に感謝しながら歩んでいます。
歩みのブログを今回張ります。
赤裸々に日々の事が記載されていますが(汗)
先生も、お身体を大事に☆また会える日を願って
沖縄の道をゆっくり作りたいです。
ありがとうございました。

投稿: 星のママ | 2009年9月13日 (日) 16時33分

はじめまして。
私は今年の4月に生後14日で第二子の娘を亡くしたとき、
先生の「赤ちゃんの死を前にして」を読みました。
突然のことに混乱しきった精神状態をなんとかしようと
赤ちゃんの死に関する本を読みまくりましたが、
先生の本がいちばん冷静にしてくれて、
自分の気持ちの方向が見えたように思います。
ほんとうにありがとうございました。

実はわたしも医療従事者です。
先生の「患者さんの気持ちにそう」という言葉に
深く考えてしまいました。
たしかに専門知識を提供する…それを仕事にしてきたけれど、
はたして患者さんの側に立っていただろうか?
知識はあくまで道具や裏づけでなのに、
勝手に押し付けて満足してた?
患者さんの「ありがとう」は本心とはちがったのでは?
色々考えてしまいました。

というのも、娘の死後1ヶ月ほどたってから行った
母乳マッサージの助産師さんとの会話で
ひどく傷ついてしまったからです。
最後に「カウンセリングがうまくいかなかったわねえ」
と本人もいってたとおり悪意は全く無かったのでしょうが、
NGワード連発!
助産師だからと気を許していた分ダメージは大きく、深かったです。

母乳育児はすばらしいと思います。
私自身亡くなった娘にたっぷり授乳できたことは
とても救いになっています。
ただ母乳マッサージは赤ちゃんの死後かなり日数が
たってから訪れることがある場所です。
そこで母親達が傷つくことの無いよう、心から願います。

竹内先生も日本中を駆けまわってご活躍されてますが、
お体にお気をつけて。
元気な現役「おじいちゃん先生」になってください!ではでは

投稿: 柴又のとらこ | 2009年9月13日 (日) 00時04分

こんにちは。
竹内先生のメルマガの存在を友人から教えられ、
妊娠中は毎日読んでいました。
実際にかかっている病院の先生も忙しいせいか、
質問した事に対しては教えてくれますが、
なかなか情報を得ることが出来ませんでした。
しかし、「そのママ」は自分が不安に思っている事や
今現在の赤ちゃんの状態などが詳しくわかり
不安で一杯だった私に勇気をくれました。

と言うのも、私は2年前に妊娠11週で「無脳症」と診断され
堕胎する事になりました。
何故私が?
どうして?
何がいけなかったんだろうか?
と、散々自分を責めました。
そして、翌年。
妊娠が確認出来る前に、お腹の激しい痛みが起こり受診。
「妊娠初期の流産か、子宮外妊娠の可能性がある」
と言われ、思わず涙が・・・。

「もう、辛い思いはしたくない・・・」

と泣きながら言いました。
するとその病院の先生(院長でした)は

「前回とは全く違うものだから」

と、あっさりと冷たい返答。
一度、泣く泣く諦めた命。
そんな経験のあった私に、
前回とは違うから仕方がない
みたいな言い方をされたので、
更に悔しくて泣きました。
数日後、流産と分かりました。

そして、昨年末3度目の妊娠。
今度は病院を変えようと思い、別の病院へ。
その病院の先生が、優しく人当たりの良い先生でした。

「2度も辛い経験しちゃったんだね。
でも、3度目の正直で今度は絶対に大丈夫sign03

と、先生の方から声を掛けてくれ私は安心したせいか
その場で泣いてしまいました。
こんなに優しい言葉を掛けて先生もくれる居るんだ・・・と。

『きっと、この先生なら大丈夫!』

と確信できたのです。
こんな事を言ったら、不謹慎かもしれませんが
”最初からこの先生に診てもらっていたら、
大丈夫だったかもしれない”
と思ってしまいました。
里帰り出産で、出産した病院は変わってしまいましたが
里帰り先の病院の先生も良い先生でした。
無事に今年8月8日、元気な男の子を出産しました。
メルマガで頂いた 
「赤ちゃんはタイミングを待っています」
の内容通り、パパが実家に泊まりに来た日の夜に産気づき
翌日の昼に出産となりました。
赤ちゃんは、パパを待っていてくれたんですね。

医者と患者、信頼関係は大事だと思います。
私も医療従事者のはしくれです(でした)が、
つくずく思わされました。

毎日メルマガを送って頂いた竹内先生と、
無事に出産まで見守ってくれた先生に感謝感謝です。

投稿: T.N | 2009年9月 3日 (木) 16時10分

竹内先生、こんにちは。
今年の6月1日に予定日通り元気な女の子を出産しました。

妊娠中から、「そのママ」メールをいつも楽しみに
読んでいました。
お産を直前に控えた妊娠後期には、楽しみな反面不安で
いっぱいの気持ちの中、先生の「大丈夫、大丈夫!」の
メッセージに励まされました。

娘は、元気にすくすく育っています!が・・・
実は産まれた時には、胎便吸引症候群による
チアノーゼ状態で処置をし4分後に産声をあげました。
私は、状況が飲み込めず気が動転してしまっていたのですが、
立ち会っていた夫が「大丈夫、大丈夫」と言ってくれました。
でも、後で聞いたところ、「内心は、産まれたての我が子が
全身紫色で口からチューブで吸引されている姿を見た時には
胸が張り裂けそうだった」と言いながら涙ぐんでいました。
検査の結果、大きな病院に移ることもなく保育器に入ること
もなく出産当日から母子同室で一緒に過ごすことが出来ました。

退院してから、どうして胎便吸引症候群になってしまった
んだろう、赤ちゃん苦しかったんだろうなdespairdespairdespairと考えると胸が痛くなりました。
色々調べてみると、酸素不足や感染症のストレスで
赤ちゃんが羊水の中へ胎便を排泄してしまうらしいことがわかりました。
妊娠中は、カンジタになったくらいであとは
何もトラブルがありませんでした。
お産は、5月31日の朝7時30分に自宅で軽く破水し
お昼に入院し抗生物質を飲み、夜23時30分に陣痛が始まり、
産まれたのは6月1日の午後13時44分でした。

陣痛や分娩時の呼吸が上手に出来てなかったのか、
破水して24時間を過ぎてしまってたからなのか、
臍の緒が首に巻き付いて産まれてきたからなのか、
それとも他の要因があるのか・・・

もし授かれば2年後位に第二子が欲しいと考えています。
その時の為にも知っておきたくて、
以前から拝見していた「いのちのブログ」で
竹内先生に聞きたいと思い今回初めてコメントさせてもらいました。


投稿: ぽぽ | 2009年8月23日 (日) 18時12分

こんにちは。
私は助産師です。先生に伝えたいことがあって、コメントしてみました。
竹内先生のセミナーを受講したときに、メルマガの「そのママ」の事を初めて知り、妊娠していない私ですが「そのママ」に登録しました(笑)。毎日、ためになる最新情報とお腹の赤ちゃんの様子が送られてきて、とてもわかりやすかったです。
男の人は子どもが産まれるまで父親の実感が沸かないという方も多いようだったので、妊婦さんとその家族に伝えたい!と思い、マタニティークラスで「そのママ」のことを伝えました。
どのくらいの人の心に届き行動化されたのかは、後追いしていないので分かりませんが、この前1人私に伝えてくれた方がいました。

産婦さん18歳、夫19歳で立ち会い分娩でした。妊娠性高血圧症候群で管理入院していましたが、分娩誘発することになりました。約3日間かかり、出産となりました。私は出産となる3日目に新人と一緒に関わりました。産婦さんは、精神的に辛く、飲まず食わずで2日目を過ごしていたため明らかに疲れていましたが、前向きに頑張っていました。夫も自分の休息を取りつつ(←これ大事です)、一生懸命サポートしていました。
出産直後、夫は「女ってマジすげぇ」と笑顔で言っていました。産婦さんは、何もいわず、安心した表情でカンガルーケアしていました。
外回りをしていた私は、「よく頑張りましたね。おめでとうどざいます」とすぐ声をかけました。すると、産婦さんは第一声「そのママ登録してたんです!」。私は、驚きましたが「そうだったんですね。私も登録してるんですよ。登録したということをわざわざ私に伝えてくれてありがとう。」とお礼を言いました。

出産して落ち着いてから、産婦さんとお話しましたが、「そのママ」は、毎日届いて楽しい内容だったということでした。

自分の気持ちを出産直後に伝えてくれたことに、嬉しさと驚きがありましたが、こういう出来事が助産師になった私の心のオアシスとなっています。
人と人との関わりって、深いですよね~。人との関わりが大変苦手な私でしたが、産む人に引きつけられ、なんだかんだでこの仕事を6年続けています。
これからも自分らしさを探しつつ、この仕事を続けていきたいと思います。

投稿: つばき | 2009年8月23日 (日) 03時01分

妊娠中ずっと竹内先生に診察していただき、
3月に出産したエムです。
おかげさまで娘はもうすぐ3ヶ月になります。
どんなに大丈夫といわれてもやっぱり不安な気持ちはあったので
妊婦健診では結局毎回エコーをお願いしてしまいました。
ありがとうございました。

妊娠中はメルマガを毎日楽しみにしていました。
産後も先生の応援メッセージが読みたくてしばらく登録情報を
妊婦のままにしていました。
一番印象に残ったのはお産は「出す」のではなく「通す」と
考えてみましょうというお話です。目からうろこ!でした。
これからも機会あるごとにそのママメルマガを友人に勧めたいと思ってます。

道行く人すべてが誰かしらの子宮から生まれてきたんだなぁ
なんてしみじみ思うとなんかちょっと前より世界が輝いて見える気も。。
自分の体から新しい命を誕生させて、その命が少しずつ成長していくのは
私にとってまさに奇跡の連続です。

産後は母乳が思うように出ず、娘に申し訳ない思いと
情けない思いで鬱々とした日々がありました。
そんな日々から抜け出せたのは助産師さんたちのおかげです。
皆さんバイタリティがあって、明るくて、生き生きとしている感じがします。
身近にこんなに頼もしい人々がいたなんて、
こんなコミュニティがあったなんて、と驚いています。
長男を生後まもなく亡くしたときは、
産後の体の変化など不安に思うことがあっても
気軽に産後のことについて話ができる仲間はほとんどおらず、
ネットの情報が頼りでした。
当たり前のことながらこんなにも違う世界が待ってたんだ
と日々痛感しています。

助産師さんが小学校にでも行って
お産の話をするなど活躍の場が増えるとよいなぁと思います。

入院中、先生と記念撮影しそびれたのが心残りなので
今度また昨年の「お産の日」のような講演イベントがあれば
カメラもって参加しますのでhappy01よろしくお願いします!

ご活躍心よりお祈り申し上げます。

投稿: エム | 2009年6月16日 (火) 22時53分

竹内先生、こんにちは。2月に34週で先生から墨東病院へ紹介状を書いて頂いた者です。あのときは、何が起こっても全てを受け入れよう、大丈夫、大丈夫。と自分に言い聞かせてはいたものの、その後検査入院した矢先にお腹の中で心拍が確認できなくなってしまい、想像もしなかった辛く悲しい経験となってしまいました。

あれからもう4ヶ月です。その後、先生のブログや「赤ちゃんの死を前にして」も読ませて頂いたりして、赤ちゃんがお腹に宿ってくれて、お空に帰って行った意味をずっと考えています。今でもふいに涙が出る事はありますが、家族や周りの方々のお陰で少しずつ笑顔も戻り、「3人暮らしだけど4人家族」と言う感じで暮らしています。姿は見えなくてもみんなで朝夕お祈りをして、赤ちゃんに愛情を注げば注ぐ程、いつも近くで私たち家族を見守ってくれている事が感じられ、私たちの所に来てくれてありがとうと心から思えるようになりました。今月末には39歳になるのですが、また赤ちゃんを抱っこしたいと言う気持ちも強く、もう一度頑張ってみようかなという気持ちになってきました。私にとっては最後のチャンスになると思いますが、もしもう一度神様が授けてくださったら、また先生にお世話になりたいと思っています。そのときはどうぞよろしくお願いいたします。

先生もその後墨東病院の当直を引き受けられたりして、益々ご活躍との事、先生のご活動を知れば知るほど頭が下がる思いです。私のように、先生に励まされ、勇気付けられている方々も全国に沢山いらっしゃるのですね。どうかお体を大切にこれからも頑張ってくださいね。

追伸:しきゅうちゃん、いい感じですね!見るだけでホッとするような癒しグッズとなる事間違いなしですね♪

投稿: きょんちゃん | 2009年6月16日 (火) 11時04分

竹内先生、ご無沙汰しています。
昨年の10月に流産してしまった者です。
今日は先生に嬉しいご報告をしたく、書き込みをさせて頂いています。

 今日病院で診察をしたところ、妊娠していることが確実になりました。
現在8週と6日と言われました。
 2週間前の診察では心拍が確認できましたが、
また予定より成長が遅れていて予定日も曖昧でした。
「また駄目なのかなあ、前回よりは成長しているみたいだけど・・
頑張って生きて!」
と今日の診察まで願う日々でした。
 今日、主人と一緒にお腹の中の我が子を見た時に
赤ちゃんはちゃんと生きててくれました。
「生きててくれてよかった!ありがとう」と
心の中で叫びました。

 昨年の10月、我が子は4週で生き切ってしまいました。
初めての子供だったので、自分の身に何が起きたのか
受け止められない日々が続きました。
「何がいけなかったのだろうか。私が何かをしてしまったんだろうか・・」
自分を責めました。
 立ち直れたのは、先生の著書『赤ちゃんの死を前にして』を
読んでからです。

 あれから5か月が経ち、やっと私のお腹に赤ちゃんは
戻ってきてくれました。
まだまだ油断ができない時期で不安な日々は続きますが、
年末の予定日まで頑張ります。
またお世話になりますが宜しくお願いします。

投稿: なおなかば | 2009年5月26日 (火) 15時29分

竹内先生、はじめまして。
こーいといいます。

今3・4人目の娘を妊娠しています。(29週)
3人目の妊娠でさえ、驚きを隠せない気持ちだったのに
その後に双子(MD双胎)だと言う事が判り、様々なリスクを頭に入りきらないくらい言われて不安でいっぱいになりました。本当なら、喜ぶべき妊娠なのに。

そんな親の心を慮ってか…
何のトラブルもなく育ってくれていた姉妹の1人が、18週目でお空へ帰ってしまいました。

16週を越えた時に、主治医に「ちょっとひと安心かな?!」と言われ、それまでの不安は少し和らいで、5才と2才のお姉ちゃん達にも「おなかの赤ちゃん、双子だよ!」って知らせて、「4人姉妹の母」になる覚悟もできてきた矢先。

不安に思って今までの妊娠期間を過ごしてきた自分が情けなくて、
赤ちゃんに申し訳なくて…泣く事しかできませんでした。
そんな時に竹内先生のブログに出会い、全部の日記&コメントを泣きながら読ませて頂きました。そして、随分救われました。竹内先生、ありがとう。

今通っている病院は、いつも担当してくれる先生が同じで、
多忙極まりないはずなのに毎回「質問はない?」「何でも聞きたいことあれば聞いてね」と言って時間を取ってくれます。
そんな私の主治医は、双胎一児死亡がわかった時には、医者らしからぬ(と言ったら失礼ですが)動揺した様子を見せてくれた人間味のある方なので、
それで、先日思い切ってずっと不安に思っていた分娩のことについて
「先生にお願いしたいんです」と言ったところ(竹内先生が指名して嫌な気がする人はいないってブログに書いておられたので)
即答で、「じゃ、callしてもらうようにしますから!進むのが早いって言ってたけど、間に合わなくても来るから!!」と言ってくださって
とても嬉しかったし、不安も拭いさることができました。
先生の入れ知恵のおかげです。(笑)
無事に生まれてきてくれることを祈るばかりです。

投稿: こーい | 2009年1月18日 (日) 01時08分

 竹内先生、はじめまして。私は37歳です。今年の10月に初めて妊娠をしました。2年前、7cmと10cmのしょう膜下筋腫を指摘され子供が欲しいなら手術をすればと言われていました。自分の勝手な解釈で、妊娠しにくいのだと思い込んでいて、こういうことは自然に任す主義なので手術は受けずに放置していたのです。
 筋腫でかかっていた所を受診したところ、筋腫が12cmと10cmになっているので大学病院へ行くように言われました。とにかく1回行っておかないといざと言う時に困るから、と言われたので「えらい大そうに言うなあ」と思っただけでした。しかし大学病院ではいろんなリスクを説明され(2年前の状況と違っていたみたいです。)そして、「この赤ちゃんを大切にしたいという強い思いがあるのなら精一杯応援します。でも赤ちゃんに障害が残るような時に生まれてしまう可能性もあります。それを受け入れる強い覚悟がいります。あるいは今回は赤ちゃんを諦めて筋腫の手術を受けてまた妊娠のチャンスを待つという方法もあります。筋腫以外は悪いところはなく妊娠することがわかったから。難しい選択だと思うけどどれが正解でどれが間違ってるなんてない。たぶん全部正しい。家の人と相談してまた来週来てください。」と言われました。
 夫と1週間考えた結果、医学の力で先のことが予想できてこの選択を迫られているのだから今回は中絶するということに決まりました。結論が出たときは悲しい気持ちよりも、やっと答えが出てほっとした気分のほうが大きかったです。
 病院に返事をしに行く日は夫と二人で行きました。先生は先に返事を聞かずに、夫に前回私に話したことをもう一度丁寧に説明し、それからどうするかを聞いてくれました。自分たちの出した結論を夫が泣きながら先生に伝え、翌日入院して中絶の処置を受けることになりました。
 悲しくなってきたのは入院した晩からです。妊娠の件は夫以外知らせてなかったので、つわりで辛い日もあったのですが、仕事を休むわけにもいかずたぶん誰にも知られず乗り切りました。こんなに親孝行な赤ちゃんを殺してしまうなんてとか、お医者さんたち(3人もかかってやってくれました。)は赤ちゃんが好きで産科にいるのにこんな嫌な処置を頼んで申し訳ない、とかいろいろ考えて全く寝られませんでした。
処置の前に主治医の先生に、泣きながら「嫌なことお願いしてすみません。」と謝ると先生が「大丈夫。ちゃんと考えた結果やから私たちはきちんとフォローするよ。今後もね。」と肩を抱いてさすってくれ、少し胸のつかえがとれたように思いました。
 あれから6週間になります。1日数回泣いていたのが、1~2回に減りました。水子供養もしました。でも今でも「妊娠中に死んでおけばよかった。」とか「どうして強い覚悟をもてなかったのだろう。」とか「子供を犠牲にしてまで守るものなんかなかったのに。」とかいまさら考えてもどうしようもないことばかり思いつきます。今いちばん悩んでいることは「自分が思い違いをしたのではないか?」ということです。本当は先生はただのリスクの紹介として障害のことを言っただけなのに、私がそれを間違って理解して(筋腫の件みたいに)、中絶してしまったのではということです。夫にそのことを話すと「自分が聞いた感じでは十分シビアに思ったし、だいいち大学病院なのだから重症の人ばかり行くところであんな風に言われたのだから、思い違いではない。あの先生はもしこちらが思い違いをしていたら指摘してくれるはずだ。済んだことをいつまでも言うな。」と怒られました。
 でも私は考えてもどうしようもないことを毎日考えてしまいます。なんでセカンドオピニオンとしてもう一軒行かなかったのかとか、21週6日まで保留にしておけばよかった、とか。妊娠する前は一体何を考えて時間をつぶしていたのか
不思議に思います。
 竹内先生のブログのどの赤ちゃんも穏やかな顔ですという文章を読み返しては、私の赤ちゃんもきっとそうだったんだろうと少し安心はしました。けれども赤ちゃんが来てくれた意味は私には見つけられません。ひとつのいのちを無駄にした、という罪悪感だけしかありません。
 赤ちゃんのことを、ただの悲しい出来事の一つではなく何かの自分の糧にしたいと思ってはいるのですが、どうすればいいのでしょうか?
 
 
 

投稿: こなつ | 2008年12月17日 (水) 22時01分

竹内正人先生

こんにちは、先日助産院でお目にかかりましたMSです。
先生にどのようにコンタクトを取ればよいかと
思っていたところ、このブログを拝見し
こちらにメールを送らせて頂く事になりました。

先生がこの前私たちに投げかけた
「助産院という存在の意義を、
 助産院を知らない人達にどう伝えるか」という宿題、
ずっと考えています。

ほんの1-2%の出産のために
助産院はあるべきなのか、と思う方がいて当然だと
思いますが、一方で助産院でのケアを求める人が
今の10倍になったとき、それに日本の助産院の現状は
対応できるのだろうか、とも思います。

私が見る限り、本当に細やかなケアが提供されています。
でもそれは妊婦さんの主体性が、助産師さんたちに
そうさせ、それがまた妊婦さんの主体性を高める、といった
相互作用のように思えます。
逆に言えば、主体性に乏しい妊婦さんは、
助産院に通院していようと、助産院本来の助産院らしい
出産をすることは難しいのかもしれません。

先生に出された宿題に対する、私の真の答えは、
やはり先日お答えしたように、その意義、というか
助産院の良さは、助産院に来て、見て、経験した人でないと
なかなか伝えづらいように感じています。

一方で、少し違った観点からその意義を考えると、
産婦人科医が不足している、と言われている現状において
(私がいた病院もそうでしたが)
ハイリスク妊娠をみられる施設での正常分娩が多く、
それが産婦人科医の仕事量を増やしていると思います。
院内助産院も含めて、正常分娩をもう少し助産師さんたちに
まかせるような環境、風潮になれば現状は多少改善
される、と仮定すれば
助産院の意義は、一般の方にも理解してもらえるかも
しれません。


いずれにせよ、あそこで偶然にも先生にお会いできたことは
本当に幸運でした。

今後ともどうぞ宜しくお願いいたします。

投稿: MS | 2008年12月 1日 (月) 16時33分

竹内先生初めまして。
先生がブログをやってらっしゃること偶然知りました。

私は、2005年1月に40週5日で男の子を子宮内胎児死亡、
2006年1月に30週4日で女の子を子宮内胎児死亡で死産し、
今年4月に元気な男の子を出産しました。

2人の赤ちゃんの死産後、私は不育症に当てはまるのではないかと思い、名古屋、伊勢原の不育症の先生のもとを訪れ、最終的に世田谷のS病院でアスピリン・へパリン治療をして出産することができました。


妊娠期間の後半は管理入院をして過ごしましたが、そのとき私は先生が監修なさった「妊娠と出産の本」を持って行きました。

私が、竹内正人先生を知った、初めての本です。

管理入院中は毎日何人もの先生が訪れてくれるのですが、この本がベッドテーブルにあると、何人もの先生に、竹内先生のこと、この本についてのことでワイワイとお話をしていました。

私がこの本に出会ったのは、2人目の女の子を死産したあとでした。
どの本にも書いていない、精神的ケアの章を食い入るように読んだのを今でも思い出します。
1人目の妊娠中から、出会うことができていれば、死産後の時間を誰に気を使うこともなく赤ちゃんと思いっきり一緒にいられたのに。。と思いました。

そして、管理入院中も、たくさんの入院仲間たちの間をまわりました。ちょっとだけ、くたくたになったこの本は、今でも私の大切な相棒です。


今は、妊娠中からお世話になっているそのママから届く育児のメッセージを楽しみに、ゆったりした気持ちで育児を頑張っています。
時々、イライラしたり、きゅうーーーっと言いようのない気持ちになることもありますが、今日、サイトの「子宮的に生きよう」を読んで、柔らかに受け入れられるママ、日溜まりみたいにあったかいママになれるようになりたいなって思いました。


直接ではないけれど今までにたくさん先生に救って頂いたという人間が私を含めたくさんいるということをお伝えしたくてコメントさせていただきました。
入院中、つらいことになった入院仲間も、この本を購入して助けられたようです。
先生に直接言葉を届けることができる現代のツールに感謝します。


季節柄、お体ご自愛くださいませ。
失礼いたします。

投稿: saosao | 2008年11月 6日 (木) 21時43分

竹内先生、はじめまして。
先生のブログいつも拝見させていただいています。
先生のブログを拝見するようになったのは9月18日に緊急帝王切開後、誕生死を経験したからでした。
2度目の流産後まもなく授かった娘でした。
妊娠後期になって羊水過多になり胸水が見つかりました。
胎児水腫も起こしており シャント術をお願いしました。
NICUの施設も揃った病院でしたから、長期に入院するということは想定していましたが亡くなるというのは予想外のことで驚き、嘆き、そして悲しみました。
病院の方々、家族、友人はとても温かく優しく見守ってくれて私は毎日泣いてはいますが 前向きに 前向きにと進もうと思えるようになってきました。
実は長男は筋疾患をもっていて生まれたときも重篤な状態だったのですが、今は車椅子生活ですが元気です。だから娘も長期入院は免れなくても助けてもらえる そう信じていたんですが‥
筋疾患は遺伝的な要素も考えられるため、私達夫婦もすべてしらべてもらいましたが原因はわからず。
息子は結局 筋生検をして病名が確定しました。
ただ、娘は解剖をしてもらいませんでしたので本来の原因はわかりません。上手く肺が開かず、そして血管もつぶれていたという説明でした。
でも、1ヶ月検診時に 思い切って主治医の先生にまだ子供が欲しいのですが‥と相談したところまずは遺伝子相談をするように言われました。
やはり、以前調べてもらっていても相談したほうがいいのでしょうか。そして、私のような場合、体外受精をしたほうがいいのでしょうか?

赤ちゃんを抱くという目標以外にも立ち直れるはずなんですが今の私にはそれにすがっているところがあって、
主治医の先生からの一言はハイリスクだからあきらめたら‥に聞こえてしまって悩んでいます。
そういう意図ではなかったのかもしれないんですけど、ね。


投稿: hiromi | 2008年10月22日 (水) 01時09分

はじめまして。lucyと申します。
NZに暮らしているんですが、今日、お腹の赤ちゃんが「無頭蓋症」と診断されました。NZ人の主人も病名で聞いてなかったので、症状などでインターネットで検索した結果この病名だと分かりました。
今妊娠16週目なんですが、早ければ来週中にお腹の赤ちゃんとお別れすることになりそうです。3歳の娘は日本で出産したんですが、現在お腹にいる子はこちらで出産する予定でしたのでまさかこんな事になるなんてと驚きと悲しみでいっぱいです…。
お腹の中で元気にしてるのに産んであげることができないって言葉にできません。
助産婦さんがまた妊娠できるって言うてくれてるのでまた妊娠して元気な赤ちゃんを産めるように・・・。今はこれからの事や、お腹の赤ちゃんのこと、何か家族でできることはできないかとか色々と主人と話しています。明日、また助産婦さんが家に訪ねてきてくれる予定なので色々と相談してみようと思っています。
赤ちゃんとお別れする日の事を考えると涙止まりませんが、また妊娠して元気な赤ちゃんを産める日が訪れますように・・・。

投稿: lucy | 2008年9月22日 (月) 18時28分

竹内先生、こんにちは。
先日、男の子を出産しました。
妊娠中、このブログを読んで何度も勇気づけられたので、お礼方々コメントをさせていただきます。

私は結婚してから2度流産を経験しています。
妊娠検査薬では陽性反応があったのに、赤ちゃんの心拍が確認できないという結果でした。
家族や病院の先生から「子供はいつかまたできるから」という言葉がどれだけつらかったか分かりません。
たとえ子供ができたとしても、死んでしまった2人の子供は戻らないのですから・・・。
主人との些細なケンカも自分が子供が産めないのが原因だと思っていました。
また、まわりの人から「子供は作らない主義?」とか「夫婦仲が悪いんじゃない?」といった心無い冗談に傷つき、私は精神的にボロボロでした。

その後、不妊治療の末、待望の妊娠発覚。
赤ちゃんは元気だと病院の先生から言われても信用できず、臨月まで不安な日々を送りました。

自分ひとりが妊娠できないのではなくて、まわりの友人も不妊症で悩んでいたり、竹内先生のブログ内でも子供をなくしてしまった方々がたくさんいらっしゃること。
それを考えると、子供がちゃんと産まれてきてくれること自体が本当に奇跡なんだと思っていました。
そのため、先生のブログは励まされることもありましたが、ときに現実を知り、こわくなることもありました。
でも、今となっては冷静な気持ちで出産にのぞめて本当に良かったと思っています。

子供が産まれて一ヶ月。
子育ての大変さを痛感していますが、今まで生きてきた中で一番幸せなときを過ごしています。
天国の赤ちゃんに誇れるママになることが私の目標です。

先生ありがとうございました。
同じような悩みを抱えている女性のために、そしてその女性を支えるパートナーの方のために、これからも素敵なブログを続けて下さい。

投稿: yachiko | 2008年9月 9日 (火) 19時28分

竹内先生はじめまして。
現在第二子を妊娠八ヶ月目の妊婦です。
一人目の子は三年前に逆子だったので臨月に帝王切開で出産しましたが、多発奇形で数時間後に死亡してしまいました。
その後やっと二人目を授かり、初期には切迫流産で70%流産すると言われながらも、二ヶ月以上の入院などでここまできました。
私は一人目が帝王切開だったため、当然この子も帝王切開で出産するつもりでしたが、担当の先生からはVBACを勧められています。
担当の先生によりますと、現在世界的には一度帝王切開をした妊婦にも条件が揃えばできるだけ経膣分娩を推奨する動きになっているとの事、また、私が通っている施設では過去十年間子宮破裂は一度も起こっていないとの事です。
私がまだ30才に入ったばかりという事もあり、VBACにトライする価値はあると言われました。
もし一人目の子が無事に生まれていたらVBACで産む決意をしていたかもしれませんが、どうしても子宮破裂などの最悪のことを想像してしまいます。
担当の先生によりますと、赤ちゃんの心拍を測定することで子宮破裂の予測は可能だと言われましたが、子宮破裂の予測というのは確実なのでしょうか?
出産に絶対の保障はないというのは分かっています。
ですが、万が一の事が起きた場合、それがVBACが原因という事となってしまう事がとても怖いです。
先生はVBACについてどのようなお考えをお持ちでしょうか?
お忙しいところ申し訳ありませんが、アドバイスを頂けたらと思います。

投稿: earth | 2008年8月12日 (火) 17時53分

竹内先生、こんばんは。

先日の赤塚不二夫さんへのタモリさんの弔辞、とても感動しました。多くの方々が私と同じ気持ちになったのでは、と思っています。

あなたの考えはすべての出来事、存在をあるがままに前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は、重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また、時間は前後関係を断ち放たれて、その時、その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。すなわち、「これでいいのだ」と。

先生がいつもおっしゃっている、「あなたは あなたのままで そのままで いいのです」と同じですね。

こちらのブログに出会ったころは、「そのままでいい、って言っても、私には悪いところばかりだから、そのままじゃまずいわよ~」って思っていました。自己否定していたんです。自分を否定している時って、周りに起きたことや人も否定する気持ちが強かったなぁ。

今は以前に比べて、少し肯定的になってきています。
肯定的になってきた自分も、まだまだ発展途上部分がある自分も、過去の苦しんできた自分も、大切な私自身です。

先生のおっしゃっている意味がやっとわかってきた嬉しさに投稿しました。
先生のご活躍、応援しております!!


投稿: ami | 2008年8月10日 (日) 01時24分

はじめまして

去年の今ごろ妊娠をし(妊娠・出産・しあわせブック)を購入し毎日頼りにしながら書いてあることと全く同じ身体の変化に驚きそして本の可愛いイラストに癒されて読んでいました。
つわり、切迫早産、ヘルペスとかなりつらいながらも今年の3月に36週の後半破水がきて陣痛が来なく2日間陣痛促進剤を打ち全く子宮口も開かず4日目で無痛に切り替え難産で3190gの男の子を出産しましたが産声は無く苦しそうに喘いでいました。そして9時間後に天国へ逝ってしまいました。抱くことさえ、おっぱいもあげれないまま・・・原因はわかりません。追求しても先生を責めても、あのこは帰ってはきませんから。

4ヶ月毎日号泣の日々です。人はこの誕生そして死にも意味があると言いますが、私は何に縋る事もできず悲しみそして誕生死と言う本とも出会い我が子を失っている母親の体験を読みこんなにも多くの方が辛い想いをしていることに驚きました。そして出産とはリスクもあり女性は大変だと思いました。

そして今月生理が来なくどうやら妊娠しているみたいで明日病院にいきます。去年と同じ時期なのです、あの子が戻ってきたのでは・・・今は複雑です、また大変な思いをするのではと・・・

でも我が子が戻って来てくれたのならママはまた頑張りたいとおもいます。先生のコメントお待ちしておりますcrown

投稿: りみ | 2008年7月23日 (水) 11時27分

 竹内先生、初めまして。

 私は一昨年の7月7日に長女を臨月で死産しました。
原因は分かりません。
妊娠経過はずっと順調にきていて何も問題は無く、先生にもいつ産んでもらってもかまわないと言われていました。

 亡くなるまでの経過をよく覚えてるのですが、初めてNSTをした時に、正常範囲内であるが、心拍が早めと言われました。 
 38週の妊婦検診時はNSTの結果もよく、胎動もしっかりあったのですが、その翌日からパタリと胎動が無くなりました。胎動を感じないのは気のせいかな?とその日は過ごしたのですが、そのまた翌日になっても一向に胎動を感じる気配が無く、病院に電話をし、受診をしました。受診時、NSTをした結果はいつもの心拍を100点とすると今日のは100点ではないと言われました。先生2人で超音波の結果等も診てくれましたが、先生達も胎動が無いのは、何が原因なのか分からない様子で考えた結果、翌日再び受診してとの事でした。
そして、再び翌日受診したところ、赤ちゃんの心拍は停止し、亡くなっていました。先生は昨日、入院をさせようか、翌日再度受診にしようかで迷ったと話をされました。
そして、37週の時に逆子である等の理由で帝王切開なり、分娩をしていたら、この子は助かっていたと言われました。
 分娩後、胎盤等を検査してもらいましたが、特に異常はありませんでした。(胎児の解剖はしていませんが。)
 先生には、次の妊娠はいつしてもらってもかまわないといわれました。

 そして昨年、予定日までは怖くて待てなかったので、37週で誘発分娩をしてもらい、長男を無事に出産しました。

 そして現在、32週の妊婦です。今年は長女を亡くした時に、同級生になるはずだった子達のママさんの出産ラッシュで、また私だけ生きている我が子を抱く事は出来ないのではと当時の思いがよみがえってきて毎日不安にかられています。
今日受診をして、今回初めてNSTをしました。結果、心拍がやや早いとの事でした。断定はまだされていませんが、お腹の子は女の子のようです。
 私はまたやはり長女の時のように今回も無事に出産が出来ないのでしょうか?
 今回は予定日まで待とうと考えていましたが、今日の受診の結果で、また長男の時と同じように37週での誘発分娩をしてもらおうと考えています。
 どうにか無事に赤ちゃんを産みたいです。

 まとまりのない文章ですみません。

投稿: 未羽ママ | 2008年6月28日 (土) 02時34分

先日の健診で無頭蓋症と診断され、GW後入院の予定です。現在16週でまだ、自分の気持ちの整理もつきません。
久々の連休なのに何も手につかないです。どうなってしまうのか・・。不安です。

投稿: じゃすみんみん | 2008年5月 4日 (日) 15時30分

私は、約4年前先生が葛飾日赤にいらした時に女の子を出産した者です。
何を話せば思い出していただけるでしょうか?
娘は、胎児エコーで心臓病を発見して頂き、搬送等の関係もあり帝王切開で出産しました。
三尖弁閉鎖症と胎児の時は説明を受け、数度の手術が必要であると聞き、
手術を受けながら、生きていく事が受け入れられず、このまま治療をしないで欲しいと
先生方にお話し、出産後先生方と長い時間お話をしました。
先生は、親としては気持ちは理解できるが、助かる可能性のある命をそのままにする事は医師としてはできない。
とおっしゃり、私の言う事に決して強く否定せずに諭してくれました。
小児科の先生や小竹先生、私の両親等向かい合った中で、
ストレッチャーに寝た私が真ん中におり、先生に沢山話を聞いて頂きました。
思い出して頂けましたか?

娘は、昨年春5度目の手術で目標のフォンタン手術を受け、
春からは幼稚園にも通える事になりました。もうすぐ4歳です。
成長の遅れ等もなく、見た目は心臓病だとはわからない位体格もいいです。
私も、彼女の手術を終え落ち着き、2人目を妊娠しました。
現在、妊娠6ヶ月で日赤に通っております。
当時の先生は変わってしまい、出来たら元気な娘の姿も見て頂き、
二人目もやはり病気がないか、不安も大きかったので先生や小竹先生にお願いしたかったです。
先日詳しいエコーをしてもらいましたが、今のところ大きな病気はなさそうとの事でした。

私が出産以来、娘の病気に対してかなり前向きになったのも
あの時、徹底的に思っている事全てを先生に聞いて頂いたからだと思います。
先生は強く否定したりせず、優しく聞いてくださり、私の気持ちを大事にしてくださり、本当に感謝しています。
長い時間、話に付き合って頂きとても幸せな環境であったと思っています。

先生と連絡を取れる場所を見つけ、お礼とご報告がしたくメールさせて頂きました。
長々とすみません。

お忙しいとは思いますが、先生もお体を大事になさってください。
そして、沢山の命を支え続けてください。

投稿: R.F | 2008年3月31日 (月) 15時39分

先生はじめまして。
私は婦人科で看護師をしています。
小さな医院ですが、毎日中絶希望の女性が来られます。
学生だから、もう2人いるから、相手が違うから・・・
院長のポリシーもなく、事情もあまり聞かずに来るもの拒まず処置されます。
出産後にめぐり合った理解のある職場。
院長もそのこと以外はいい先生です。
頼りにしてくれる患者さんもいます。
でも。
人として・女性として、子どもをもつ親として、納得できないことが多々あります。
精神的になんだかとても後ろ向きになるんです。
私は一体どうしたらいいんでしょう。

投稿: ふわふわ | 2008年2月 7日 (木) 21時45分

竹内先生、はじめまして。
先生のブログ拝見させていただいています。
先生のブログにたどり着いたのは
私が人工死産を経験したからでした。

不妊治療の末初めて授かったわが子は
妊娠初期からNTを指摘されていました。
そして羊水検査の結果18トリソミーだったことがわかり、
悩みに悩み、話し合い人工死産を選択しました。

それからはまるで地獄のような毎日でした。
毎日泣いて、人にあたって、ねたんで、ひがんで・・・
人前に出ることは出来ないときもありました。
こんな自分に気付き、自分を許せなかった・・・

でも、先生のブログをみて
なんだか肩の力が抜けたんです。
あ~私は私のままでいいんだって・・・
こんな自分も、今は許してあげよう、
こんな自分も人間らしくていいじゃないかって・・・
楽になったんです。
だからお礼が言いたくて投稿してしまいました。
先生、ありがとう。
先生にはお会いしたことはないですが、
本当にありがとうございます。

私は看護師をしています。終末期、急性期を経験し、
今回の自分の経験も何かの意味があるんじゃないかと
思っています。
命の誕生の奇跡と、人の尊さ、生きていくことの意味、
そして人の最後の命の深さ・・・
私にはたくさんの命の感性が芽生えたのではないかと。

先生、命ってすばらしいですね。
愛しいですね。
私は命を常に考える人間でありたいと思います。
誕生する命や、生きることに必死の命を私は
応援したい。
もうすぐ最期を迎えようとしている命にそっと
寄り添いたい・・・

私は私のままでいい。

先生の心のある言葉たちが、たくさんの人に届くことを
願います。

投稿: すずきのひげ | 2008年1月24日 (木) 18時14分

はじめて投稿します。竹内先生にはクリニックにて約1年前にカウンセリングにて面会させていただいたものです。
いつか投稿しようと思いつつ、やっとその時がきたみたいです。
二人目を希望し3度流産、治療をすべきか&不育症の原因検査をすべきかなど、ゆっくりと絡み合った糸をほどいてくれるかのうようにお話を聞いてくださり、うれしく思い竹内先生のあたたかさに感動いたしました。その後、少しあの時の不安に変化があるものの、ある一つのことにやはりひっかかってしまいます。「いのち」の安易さと重さです。
4年前から二人目が欲しいと思い、当たり前にできるものとして何度もトライをし、先生いわくたとえ8週でも赤ちゃんは自分のところに3人来てくれた、でもこの世に生まれることはできなかったのです。先生がお話ししてくださったことをもとに、一人の息子の将来を考えると夫婦の染色体検査はしていないのですが、のち不育症の原因を調べたら、原因がある&ないの2つの見解をお二人の専門医からつきつけられました。もし、自分が赤ちゃんを生き抜かせることができない体であれば、簡単に新しい「いのち」を生み出してはいけないのではないかと、思ってしまうのです。まさに「いのち」を生み出す安易さと重さです。
友人に一人目の息子の洋服などすべてあげたりして、表向きには「なるようにしかならない」と見せかけていながら、赤ちゃんを抱くお母さんをみればまだ正直恨めしく、すでにいるかけがえのない存在である一人息子とわかりつつ向き合えずうわの空・溜息をもらす時、何とかもう一度授かって無事健康な赤ちゃんをと希望する自分がいます。でも反面また失ってしまうのであれば簡単に希望してはいけないのではと「いのち」の重さに苦しいです。
先生とお会いしたとき、考えるこの時間が重要であるとお話しされていました。本当に、このつらい経験は色んな事を教えてくれたように思うのですが、気持ちが落ち着くような前進はできていない気がするのです。日々楽しく過ごすことが重要?と思いながらも、上辺だけの楽しさで心から楽しめない現実があります。一人息子の為にもそんな日々から早く抜け出したいと思うのですが。。。(忘れるつもりはないのですが、浄化される時は来るのだろうかと思ってしまいす。)
結局先生とお会いした頃と心の痛みは変わっていないのかな・・と書きながら思いました。
「いのち」の誕生は奇跡的でこの世に生まれるべくして生まれてくるのですね。最後まで生き抜けなかった赤ちゃんたちも何かを教えてくれているのは確かです。でもこの世のすばらしさを一緒に楽しめる家族が欲しいものです。
先生もし何か今の自分にお言葉をいただけるのでしたら、うれしく思います。

投稿: tomoko | 2007年12月 3日 (月) 23時09分

竹内先生、こんにちは。
初めてお話させていただきます。

私は去年の11月に第一子を38週1日で出産しました。
体重は2860g、身長は49cmでお父さん似の男の子でした。
妊娠中は7ヶ月に入った頃からお腹が張りやすく、37週までウテメリンを服用していました。
お腹の張り以外は特に異常なことはなく、健診ではいつも「活発な赤ちゃんで、心臓も元気です」と言われていました。破水してから2日経っても陣痛がこないので、医師に子宮口をマッサージしてもらいました。それから30分後くらいで陣痛がきて、その8時間後に出産しました。

赤ちゃんは元気だったのですが、私の体が衰弱していたので赤ちゃんのことも考えて、吸引分娩での出産となりました。
しかし、赤ちゃんの頭が下を向いておらず少し横を向いていたため、引っかかって出にくい状態だったようです。
医師と看護師が交代で私のお腹を体重をかけて押して、吸引されて苦しいお産でした。

もう少しで赤ちゃんに会えると思うと「頑張ろう!」と力をいっぱい振り絞りました。
しかし、赤ちゃんは産声をあげませんでした。
後に私の血液検査で分かったのですが、赤ちゃんは胎児母体間輸血症候群で重度の貧血状態だったそうです。

出産から10分後に大きな声で泣きました。
医師から「もう大丈夫」と言われたので安心していました。カンガルーケアをして、体重や身長を測定してもらって…ここまでは何の異常も見られなかったそうです。

私がLDRから病室へ帰って30分ほど休んでいると、看護師が車椅子を持って「主治医からお話があるのできてください」と言われました。出産直後の私を動かすということは、赤ちゃんに何かがあったのかな?看護師に聞いても何も答えてくれません。新生児室に連れていかれると、保育器の中で苦しそうに呼吸する息子を暗い顔で見つめる看護師や医師がいました。一通りの測定を終えて、息子を見ると呼吸が苦しそうだったので酸素濃度を調べると70%しかなかったそうです。
大きな病院に緊急搬送することになり、私の両親が付き添って行きました。

私は産院で一人(里帰り出産だったので主人が到着するまで時間がかかりました)不安な気持ちで待っていました。
すぐにでも赤ちゃんの所へ行きたいけれど、今は自分の力で歩くこともできない…何もできない自分が情けなくてつらかったです。

息子が搬送されてから2時間後に搬送先の病院から私を連れてくるように、という連絡が入りました。
NICUには子供の両親しか入れないというのが決まりらしいのですが、かなり厳しい状態なので例外ということで私の両親も入室が許可されていました。

医師の説明によると、原因は不明だけど重度の貧血状態で搬送時は酸素濃度が70%と低かった。産まれてから5時間経つが尿も出ていない。血圧は最高━最低の差がほとんどなく(昇圧剤を投与していましたが血管はぺたんこだったそうです)20~23mmHgでした。
心臓はX線写真をみた限りでは異常はない。CT検査も実施したかったが今の状態では危険なので脳の状態は分からない。
血液検査の結果を待って、輸血をしましょうということになりました。原因が分からないので対症療法しかできないと言われました。主人がいつ頃に到着できるかをしきりに心配されました。このままの状態から抜け出せなかったら、かなり厳しい状態なので覚悟しておいてくださいといわれました。

主人と義両親が到着したのは出産から9時間後でした。
息子の状態は良くも悪くもありませんでした。主人と二人で保育器のガラス越しに話しかけるとうっすらと目を開けて私たちの方を見てくれました。お腹の中にいる時から声は聞いてるから覚えてたのかな?二人で抱っこすることもできました。実は主人が到着するまでにも何回か抱っこさせてもらいました。看護師さんの提案で「家族3人で写真を撮りましょう」といわれたのは良かったです。あの時は悲しみと不安とで嬉しいとはおもいませんでしたが、今になっては宝物です。

主人が到着して4時間後に亡くなりました。きっとお父さんに会いたかったのだと思っています。最期は私が抱っこして看取りました。亡くなった後、看護師さんに呼ばれました。「沐浴をお父さんとお母さんにしてもらった方が赤ちゃんも喜ぶと思うので…」といっていただけました。これも今では思い出の一つです。看護師長さんが「赤ちゃん抱っこさせてね」と来てくださったのも嬉しかったです。「今日は寒いからね、ちゃんと暖かくしないとね。」とおくるみを直してもらったのは涙が出るくらい嬉しかったです。
外の世界では半日しか生きることができなかったけど、お腹の中で過ごした9ヶ月間は何ものにも代えられない宝物。「私をお母さんに選んでくれてありがとう」です。

先日、息子の一回忌を迎えて少し心の中でいろんなことが整理できてきました。でも、まだ息子の死に納得ができたわけではありません。「胎児母体間輸血症候群」は原因不明なことが多いと言われました。一度この狂態の赤ちゃんを出産した人で二回目も胎児母体間輸血症候群を起こした症例はないと言われましたが、原因不明なのにそう言いきれるのかな?と不安に思います。もしかしたら次の出産でも子供を亡くしてしまうのではないか?と考えてしまいます。
遺伝的なものでもないといわれましたが、妊娠するにあたり実施した方が良い検査とかあるのでしょうか?
そして、未だにこの病気の起こる過程というか、胎盤と赤ちゃんとの関係がどうなって起こっているのかがわかりません。良ければ教えてください。お願いします。

投稿: ゆなママ | 2007年11月30日 (金) 18時40分

4人目の女の子を出産されたお母さんのお産に
一番上の6歳になるお姉ちゃんが立ち会いました。
そのお姉ちゃんはお母さんの3人目の出産のお産にも立ち会いました。
その時に彼女がお母さんに言ったことばは
「お母さん、赤ちゃん産む時すごーく痛いけどお母さんが
3人赤ちゃん産んだから私も3人産むね。」
そして今回、妊娠中から
「お母さん、赤ちゃん産む時は痛くて大変だけどがんばってね。」
と何度もお母さんを励ましてくれたそうです。
そして、今回のお産に立ち会って、
「お母さんは私の時もれいちゃんの時ももなっちゃんの時も
(2人の妹のこと)この赤ちゃんの時もすごく痛いのに
がんばって産んだね。私も4人産む!」
自分の性を肯定的に受け止めていてステキだなと感じました。
6歳にして彼女は立派な女性です。
なんだかとてもうれしくなってコメントさせていただきました。

投稿: ゆりかご | 2007年10月19日 (金) 23時54分

竹内先生初めまして。私は重度の妊娠高血圧症候群になり、27週3日755gの男の子を出産しました。NICUに入院し、動脈管開存症を克服して順調にいっていると思った矢先に生後11日目に緑膿菌に感染し、肺炎を起こして亡くなりました。先日四十九日を終えた所です。

同じような体験をされた方がどのように毎日を過ごしていらっしゃるのか、どのように乗り越えようとされているのか知りたく、誕生死や病院の現状に関する書物などいろいろ読みました。
先生は誕生死を経験した家族を対象のセミナーを9月に開いていらっしゃったんですね。もう少し早く知っていれば参加したかったなぁ…。でも私は大阪なのでちょっと無理でした。。大阪近郊ではこのような集いが無いようなので残念です。

第二子を授かりたいですが、また高血圧症候群になりそうで怖いです。尿淡白やむくみが出ており血圧も上が195まで上がりました。しかし体重や塩分管理は問題ありませんでした。
高血圧症候群になる原因は不明と言われていますが、自分で管理できる体重や食事管理を徹底しても発症する人は発症するんでしょうか。また早産で生んで、また死に至るのではないか(死因は早産のせいではなかったですが)また葬儀など親に迷惑をかけるのではないかと思うと怖くてしかたありません。高血圧症候群は心がけ次第で回避できるものなのでしょうか?

あまり死産・誕生死について世間で取り上げられる事はありません。先生のようなセミナー、集いが今後多く普及して、同じような苦しみを持つ家族の心が少しでも癒されていけばいいなぁと思います。

先生のブログを私のブログにブックマークさせて頂いて良いでしょうか。

投稿: ゆか | 2007年10月19日 (金) 21時15分

竹内先生

お久しぶりです。
以前妊娠5ヶ月の時にコメントしたmimiです。
9月28日に元気な男の子を出産しました。
妊娠中はつわりに苦しみ、心の病になり、何度消えてしまいたいと思ったことでしょう。でも、お腹の赤ちゃんがこんな私のお腹に宿ってきてくれたことは、何か意味があり、きっとこの世に産まれたいと願っていると思い、何とか産むまでは命を繋がなくてはと思いました。妊娠5ヶ月あたりから相性の合うメンタルクリニックでカウンセリングを受け始めたことも、頑張って産もうと思えるきっかけになったのかも知れません。
出産は陣痛から子宮口全開までスムーズでしたが、そこから赤ちゃんが下りてこなく、助産師さんにお腹を押されて押されて・・・やっと産まれました。なんと、首2回、足と手の4重にへその緒が絡まっていたようです。そんな状態でも健康に無事に産まれてきてくれたことは、やっぱりこの子は産まれてくるべきして、産まれてきてくれたとしか思えませんでした。
まだまだ気持ちが不安定になったりして、カウンセリングなどの治療が必要ですが、赤ちゃんの誕生と共に新しい自分が産まれたと思い、一緒に成長していけたらと思っています。
妊娠中にすべての友達との連絡を切ってしまい、主人以外の身内のことも信じられなくなってしまって「1人ぼっち」状態ですが。。。
竹内先生にこのブログで私のコメントにお返事いただいたこと、そのほかの先生のコメントに本当に救われました。先生のおかげで、私と私の赤ちゃんのいのちのリレーができたと言っても過言ではありません。救っていただいてありがとうございました。これからもこの素敵なブログ続けてください。
P.S
世間では産婦人科医のことがいろいろと取りざたされていますが、私の通っていた病院は先生も助産師さんも素晴らしい方たちばかりでした。弱い私を何度も励ましてもらいました。竹内先生や私の主治医のような人がいるってことが世間にも分かってもらえたらイイのですが・・・ね。

投稿: mimi | 2007年10月12日 (金) 19時57分

医療従事者さんこんばんは

>本人に症状はなかったのですが、
 胎児にとって苦しい徴候がでました。
 

このケースは、仰臥位低血圧症候群で
帝王切開になったのでしょうか?


というのは、胎児に影響があるような低血圧では
母体にも、症状がでると思うからです。


赤ちゃんが苦しくなったのは、別の理由があるのでしょう。
帝王切開後の赤ちゃんの状況がよければ、
仰臥位であったことは、予後には影響を
およぼさないでしょう。

お母さんの気持ち、聞いてあげてくださいね。


投稿: 竹内正人 | 2007年9月 4日 (火) 23時49分

いつもブログを拝見させていただいています。

今回は先生に質問があって、書かせていただきました。

仰臥位低血圧症候群について、です。


先日、仰臥位(セミファウラーでなく)の体位で数時間過ごされた、分娩前の妊婦さんがいらっしゃいました。
本人に症状はなかったのですが、
胎児にとって苦しい徴候がでました。
結果
緊急帝王切開術となりました。

それを産後、心身ともに安定された本人から
赤ちゃんの予後について質問がありました。

仰臥位低血圧症候群による、妊婦や胎児への血流減少を阻止するために、体位の工夫は産婦人科に携わるスタッフにとって当たり前のことです。

産まれてきた赤ちゃんにとって
予後はどうなのかといった文献を見つけることができませんでした。


当の本人は、緊急帝王切開となった経緯やそれによる予後を知りたいという気持ちが強い方です。
もちろん、自分とその子どもに関わることですから
事実を知ることは当然の権利です。
その話を聞いた者として
できるだけの情報提供をしたいと思いました。

もし、先生がなんらかの文献をご存知でしたら、
教えていただきたいと思って、コメントしました。
よろしくお願いします。

投稿: 医療従事者 | 2007年8月28日 (火) 10時24分

先生初めまして。いつも拝読しています。
無脳症と診断された第二子の息子と、昨秋18週でお別れしてから、上の娘の子育てに追われ、悲しい、苦しい、辛い気持ちを現実世界ではあまり表現できないまま、ここまできました。
湧き上がる感情に蓋をしたせいなのか、アルコール依存はだんだんと進行していきました。まずいなぁという自覚がありながら行きつ戻りつを繰り返していました。

5月の連休に夫の実家に帰省したとき、義母に
「○○(第一子娘)がかわいすぎるから早く『2人目』が欲しい」
「○○さんも下の子との間にトラブルがあったけれど(次の子は無事に生まれ育ったし)大丈夫」
とピースサインしてニッコリ笑顔で無邪気に言われ、その場は何と答えたか覚えていません、部屋に戻って、息子の火葬の時以来、人前で泣き崩れました。

2人目の子はもう出産したんです。

義母からは思い出させてしまってごめんなさい、とピント外れに謝られてその場は終わりましたが、後日「早く元気になってと念じています」とメールが届き、追い詰められどうしようもなくなりました。

夫から再三言動に本当に気をつけてくれと義母は言われていましたが、そのメールの件で夫がまた電話をしたときに、私のことを
「そんな弱い子だったんだ」
と苛々した口調で言いました。
私が聞いていることを知らずに義母が言った言葉です。

きっと私はそこで何かがぱちんとはじけ、アルコール依存と鬱が進行し、離婚を、死を考えるようになりパニックの症状がでるようになりました。
専門家に相談する気はなかなかおきません。
なぜなら、義母が臨床心理士だからです。
心療内科も精神科も、自己否定されない時間を買うだけ、抗鬱剤はその場しのぎ、と思っています。アルコール依存なのに泥酔した状態で抗鬱剤を大量にうっかり飲んでしまったら危ないと思っていることもあって足が遠のきます。

私には自殺をした友人がいますが、その人がどうやって自殺までに至ったかを、七回忌を終えた今改めて友人に蒸し返してもう一度詳しく教えてもらって、自分の状態と照らし合わせてみたり、自分の状態をやっと友達に話すようになりました。
そこで家族に、友人に、助けられ踏みとどまって今に至ります。
私の信頼する主治医は「せっかく授かった命なのですから」と無脳児の息子をそのまま自然に出産することを暗にすすめました。母体保護法に遵守しているのでどんな中絶も一切行わない方針だと診断と共に説明されました。予後絶対不良の子が育つ大きなお腹を抱えながら上の娘を追いかけまわす自分がどうしても現実として考えられず、私達は中絶を選択しました。今でもその選択はどうだったのかと、日常の選択ですら逃げられるものは逃げていて、地を這うように日々をやり過ごしています。

義父は小児科医で、息子とは義父が勤める病院へ転院してお別れしましたが、喪のケア、はじゅうぶんには受けられなかったと思っています。息子に会い、入院中同じ部屋にいられましたが、担当医からは「無脳児は脳がないわけですから痛み感覚そのものがないです」と言われました。主治医とはあまりにも正反対なことを言われ、今でも混乱しています。
カトリックの思想がある病院によっては無脳児に限り中絶を認めるという話しを後から知って、ますますわからなくなりました。私のお腹にいた子は、子でなくて、人間でなくて、生き物らしきもの、、、、、?

主治医からは義父がいる病院へ紹介状を書くとき、中絶をすすめる内容は書けません、診断を書くのみですと何度か念を押され、私は主治医の方針に従わず、法を犯し我が子を殺そうとしているのだなぁと思いました。
夫からは「引き返せないところまできても、気持ちが変わったら言うんだよ」と言われていたので、最後の最後は私が、私の決断で、自分の子を殺したのだと思っています。

転院したことで、身近に義両親がいるので、入院前から義両親の言葉で何度も何度も心をかき乱され、傷つき、涙を流しました。義父がいる病院へ転院したことを後悔しています。

専門家でもあるはずの義両親に死を考えるほどまでに追いつめられているという、この劇性あふれる話しに自分ではもう笑うしかありません。それでも義両親と会わずに、連絡を取らずに1ヶ月が経てば、どうしようもなかった気持ちは薄まります。

自分達の言葉で自分達の体験を、想いを、話すことは、まだできずにいます。ようやく最近「ともに生きる」という赤ちゃんを亡くされた方の手記本を長い時間をかけて読み終えることができました。
夫が実家へその本と「赤ちゃんの死を前にして」の先生の本を持っていき、私達家族がどういう状況下にあるかを義両親に伝えました。義母は仕事の時はそれこそ一言一句細かく気を使うけれど、仕事以外では、自分は末っ子でお姫様みたいに育ったから鈍感で配慮が足りなかったごめんねと謝っていたことを伝言で聞きました。苦し紛れに、私達の状態を言ってくれれば良かったのにという意のことも言っていたそうです。どこまでも自分に非はないと言う義母が謝っていたと聞いても、私はもう何も感じなくなっていました。
傷ついた言葉の話をしても、言ったことを忘れており驚いていたそうです。

先週末、前々から決まっていた義母の親族達との食事会に家族で出席しました。出席するまで憂鬱で、でも欠席も出席もどちらも嫌で、自分がどうなってしまうかがわかりませんでした。
会った瞬間から動悸がして、義両親と目が合わせられませんでした。
義両親からは腫れ物に触れるような空気は感じますが、それでも何事もなくいつもどおりに接してきて、私は一問一答くらいはできるのですが、それが精一杯でした。
私の精神状態を知っている人が、ごくごくいつも通りにそこにそうしている姿、時には冗談を私にまで言う姿を見たら怒りの感情が湧きあがりました。
こんな気持ちになったのは初めてです。ただそこにいることを怒るだなんて。パニックになるときは、私はあの人たちに笑顔で殺されてしまう、そんな風に思っています。

義父が医療従事者なので、義父がいる病院に竹内先生の本や手記本を届けて、これからもなくならない苦しみが少しでも和らいで欲しい、喪のケアの重要性が広まって欲しいとずっと思っているのですが、義父を通さないとまずいよなぁ、それをするにはまずは義両親と話さなければならないなぁと、頭の中はキレイに整理されていますが、心と行動が追いつきません。

義父は私の状態がかなりよろしくないと感じたようで、病院に行ったほうが良いのではないかと心配しているそうですが、それを夫から聞いた私は驚くほど冷たい心で、今まで気がつかなかったのに今になってその大げさな心配ぶりはおかしいなぁ、私達が今こうして苦しんでいるのはあなたたちの影響は多くあるのに、今度は私達と関わることを避けて、病院へ行けだなんて。
更なる劇的な展開を客観的に見ている自分がいて、やっぱりこの状況は笑うしかないなぁとその日を締めて眠るのです。

夫とは気持ちの共有はできていて、最近の最近、5人家族になってみようかなぁ、とても怖いけれどまた信じてみようかなぁと思うようになってきました。アルコールはもうしばらく摂取していません。不眠でもありません。軽い鬱と、義両親への神経症だと思います。

娘はもうすぐ2歳になりますが、物心つく頃までには義両親へのわだかまりが今より少なくなればいいなぁと思ってはいます。
家族がいがみ合う姿は子供に見せたくない、決して見せてはいけないと思いますが、今は義両親と会うことも話すことも難しいので、手紙やメールで自分の言葉を使って心の内を話し、歩み寄れるかもわからないのにこちらから発信しなければ進まないのかと不安でなりません。もうこれ以上傷つきたくないし、辛いです。頭の中がこんなことでいっぱいで育児が疎かになっており、息子のことを想うこともなく日々は過ぎてゆき、娘にも息子にも申し訳なく思います。

義両親に対して、歩み寄ってもらわなくていいから、少し黙っててもらえますか、と前は思っていたのに、今度は、黙って遠巻きでいられたことに腹を立てている勝手な自分がいます。自分をコントロールすることが全くできません。
時間が解決するのかなぁ。それも違う気がする…。

こんな風に書いたらお気を悪くされるかもしれません。
このままはいやだなぁよくないなぁと思う私に、先生は「そのままでね」と言葉をかけてくださるのか、興味があったのです。興味があっただなんて、ごめんなさい。
私の心はきっと、壊れてしまっています。

専門家に強い不信感を抱いている私でも、先生に正規にご相談に伺った方が、事態は快方に向かうと思われますでしょうか。

どうすれば良いのか、手詰まりになってしまいました。

投稿: くろ | 2007年6月26日 (火) 18時16分

 竹内先生、またおじゃまさせていただきます。  
 昨日は、朝、夫を玄関で送り出した後なぜだか涙が止まらなくなり一人で泣いてしまいました。いままでの結婚生活を振り返ると、どれだけ二人で向き合える時間があったのだろうか、夫婦として家族としてなにか築くことができているのだろうか・・・中絶のため一度も対面せず別れた子供のこと、三度の流産で対面し、手のひらで抱きとめた小さな我が子たち・・・本当に自分が経験したのかと思うような地獄の底をさまよったような時間、それでも・・・何もなかったよりは子供たちと出会えただけ幸せなのだろうか・・・そんなことを考えてしまいました。
 結婚記念日だからと、夫も何とか仕事を早く切り上げて、夜9時ごろ帰宅しましたので、久しぶりに一緒に夕食をとりました、でも、気づいたらリビングの床で寝ていました・・疲れているからしかたないですね、正直夫が眠ってしまって、ほっとしました、何か話したら涙が止まらなくなってしまったように思います。 
 今まで自分の心の内誰にも打ち明けたことがありません、日記なども書くのを止めていました。こんな自分の気持ち形に残すのがつらくて耐え切れないように感じていました、でも、その逆ですね、形にしてみたら気持ちが少し楽になったように感じます。明日、早速日記帳を買いに行ってこれからは日記をつけようと思います。
 竹内先生、読んでくださってありがとうございました。
 これからの日本の医療が良い方向に向かいますように心から願っております。

投稿: 医師の妻 | 2007年5月12日 (土) 23時52分

竹内先生、初めまして。以前から先生の本を読ませていただきとても患者に寄り添って下さる素敵な先生と感じていました。
 最近、医療崩壊という問題、本当に深刻に感じています。
 夫と結婚して11年になります、丁度今日が結婚記念日です。結婚した頃は大学病院にいましたので、日常の勤務、当直、研究、関連病院ヘの外勤、当直など本当に忙しくいつ家に帰って来るのかという状況でした。7年前からは総合病院で働いていますが、それはそれは忙しい毎日のようです、いつも家に帰るのは夜中です。入院患者さんや外来患者さんの診療、透析室での業務、透析医ですので祝祭日もお正月も関係なくひたすら仕事です、状態の悪い患者さんがいれば緊急透析、呼び出しなど24時間常に拘束されているような状況です。そんな状況でも文句も言わず、自分の使命と言って頑張って来ましたし、私もそんな夫の事や患者さんの事を案じながら毎日過ごして来ました。
 しかし、最近夫はとても疲れている様子でもう限界と言うことを頻回に口にします、私も今までなら何とか、少しでも気分転換して頑張ろうと励まして来ましたが、今の夫を見ているとこのまま過労で倒れてしまうか、過労死してしまうのではと言いようもない不安な気持ちになります。そんなにつらいなら仕事辞めて少しゆっくりして、、、といいました。現実には患者さんを投げ出して仕事辞める訳にはいかないよね、、、と、夫
 ずいぶん前の話になりますが、結婚して、初めての赤ちゃんを中絶しました、夫は赤ちゃんのことを受け入れてくれませんでした、当時はどうしてなのか理由さえ話してくれませんでしたが、その後三回の流産が続き私たちには、もう幸せな妊娠や出産のチャンスは難しい事が分かりました。最近になり中絶した当時の事を夫と少し冷静に話す事が出来るようになりました。当時、夫は大学病院で働いていましたが仕事や研究に追われる毎日の中、私の妊娠が分かりつわりでどんどん体調が悪くなっていく様子を目の当たりにして、言いようもない重荷を感じて追いつめられ早く消し去らなければという気持ちになってしまった・・・そうです  そんな夫の話を聞いてとても責める気持ちにはなれませんでした、赤ちゃんには本当に申し訳ない気持ちです。
赤ちゃんを亡くした苦しみ、悲しみは中絶でも流産でも決してなくなる事はありません
 今、全国に体力的にも精神的にもギリギリで患者さんの生命と向き合っている医師はたくさんいると思います。働く側の現状を改善していく事、それがよりよい医療を提供するためにも、よりよい医療を受ける事にもつながっていけるように感じています。

投稿: 医師の妻 | 2007年5月11日 (金) 01時09分

竹内先生

初めまして。
現在妊娠5ヶ月の妊婦です。

妊娠初期はかなりつわりがひどく、2ヶ月ほど外にも出れず、眠れず、歯も磨くのもつらいほどでした。
しかし周りは相談しても理解してくれないばかりか、出産・育児のマイナスの情報ばかり言ってきました。
「つわりは精神的なもの」
「つわりなんて。出産の時はおなかを無理やり押されて痛かった。」
「子供生んだあとはもっと大変」
などなど・・・
もちろん心配して言ってくれているのでしょうけど、初めての妊娠で不安になっている私にとっては聞くのがつらかった。それを伝えると
「こっちは気を使ってるのに!なんでそんなことを言うの!」
と怒ってしまったり・・・
18年も喧嘩したことのない大親友とも妊娠初期につわりのことで口論になり、未だ音信不通の状態になってしまいました。精神的にかなり参ってしまい、もう傷つきたくないし、誰かを傷つけたくないので、友達・親・親戚とは連絡をとっていませんし、メールも受信できないようにしました。
夫ともやはり妊娠してからもめることが多くなり、気持ちはすれ違うばかり・・・

妊娠って、「嬉しいこと」「喜ばしいこと」であると思っていたのですが、実際は一人ぼっち、泣く毎日です。なぜ妊娠したのだろう?妊娠って??
妊娠したこと自体、喜べなくなりました。最近では少し胎動のあるわが子を人並みに愛しいと思えないです。

投稿: mimi | 2007年5月 9日 (水) 10時15分

竹内先生はじめまして。
おかよさんのサイトからこのサイトにたどり着きました。

今イギリスに住んでいて、妊娠34週目です。

数日前に超音波検査で異常が見つかり、昨日大きな病院で調べたところ、intracranial cyst頭蓋内嚢胞 porencephalic cyst とゆう結果が返ってきました。
左側の脳が30%ほど無く、生まれてきても重度の障害があるだろうと。
そして、ドクターからは中絶とゆう選択肢も考えておいてくださいと言われました。

インターネットでこの病気についていろいろ調べてみたのですが、ヒットするのは医学文献ばかりでよく分からないものばかりでした。

来週の火曜日にMRIでもう少し詳しいことを調べると言われました。


porencephalic cystとはどのようなものなのでしょうか?
中絶も考えろと言われても、どのような病気でどのような障害があるのか分からなければ、納得した答えなど出せません。
いったい誰に聞けばいいのか分からず、わらにもすがる思いで先生にメッセージさせていただきました。

突然のことだったので動揺していて文中に分かりずらい点や失礼があったかもしれませんが、どうぞお力をお貸しください。

投稿: ラム | 2007年4月15日 (日) 07時23分

竹内先生こんにちは、以前(101 あなたの「いのちのブログにコメントさせて頂いたそらままです。お忙しいのにお返事どうもありがとうございました。(現在5歳の息子と2人の天使ママです。)
2月3日に17週で子宮頚管無力症で流産、死産となりました。
17週での流産でともショックでした。1回目は稽留流産だったので、今回は心拍も確認でき母子手帳も貰え一安心していた矢先の出来事でした。3月10に納骨が無事に終わり気持ちも落ち着いて来ました。
なるべく早くまた妊娠したいのですが、また流産してしまうのではないかと思うととても不安になります。
また、流産する前の日に少量の出血があり病院に行ったのに、流産してしまったのでちょっと病院にも不安があります。
先生からは子宮頚管無力症はなってみないと発見は難しいと言われましたが、インターネットで調べて見ましたが、子宮頚管無力症が発見されて子宮口を縛る処置をして無事に出産出来たとありました。
先生からは、次は縛らなくちゃだねと言われましたが、子宮頚管無力症でも無事に出産出来るのでしょうか?一人目の妊娠の時は何の問題も無かったので・・・・
病院を変えた方がいいのかな?なんて思ってしまいます。

投稿: そらまま | 2007年3月21日 (水) 18時01分

はじめまして。
悩み悩んでいろいろ見ていて、こちらに辿り着きました。
私はもうすぐ38歳になる2児の母です。
今3歳の娘を妊娠糖尿病で出産し、もう十分、と思っていたのですが、妊娠してしまいました。
この妊娠を素直に喜べたらどんなに気が楽だろうと思うのですが、今選択に迫られています。
喜べない理由は、前回妊娠糖尿病になったのでまた同じことになるという恐れ、妊娠出産を重ねるごとに酷くなる尿漏れ、そしてこれらが将来自分の体にどう影響を及ぼすかと言う恐れ、県外に住む認知症の父を2週間に1回は訪ねなくてはいけないのに妊娠出産で身動きが取れなくなるのではないか、それでは父の面倒が見れない、それから、高齢であることです。
妊娠を素直に喜べたら気が楽だろう、だけどその反面、まだ初期の段階に(4週くらいです)無かったことにしたらそれもこれから先の負担が無く楽かもしれない、と思う気持ちがあります。
でも、芽生えた命をどうしたらいいか・・・に行き詰って苦しんでいます。
すべては自分の責任、自分で決めなくてはならない、そう言ってしまえばそこまでです。
私が「こういう理由で悩んでいる」と言ったので相談に行った産婦人科医も淡々と中絶に向けて話を進められました。

先月、母ががんで亡くなりました。
そして、この妊娠、一体なんだろうかと考えてしまいます。
母は第一子を里子に出し、第二子は中絶し、そして私と妹を産み、不妊手術をしました。
私の前に妊娠が二回あったなんて、最近になって父や妹から聞いたもので、母はとうとう何にも語ってくれませんでした。
母は一人で重いものを背負って生きてきたんだと思います。
私もそうなるのか・・・。
私が中絶する理由なんて正当なのだろうか、いろいろ考えて頭の中が混乱しています。

投稿: ふみ | 2007年3月 4日 (日) 22時45分

 このブログを訪れている多くの方と同じように、「竹内先生は今どうされているのだろう」と検索してここにたどり着きました。あらためて先生のお人柄に触れる事ができ、とてもうれしく思っています。
 覚えてくださっているでしょうか?私は、2005年5月、葛飾赤十字でムスメを出産しました。先生は、潰瘍性大腸炎を抱え「総合病院でのお産を」と勧められながらも「どうしてもここで産みたいんです」という私を引き受けてくださいました。そのおかげで、私はとても幸せな妊娠期間を過ごし、納得の行く形でお産に臨む事ができ、出産を「幸せな体験」と感じる事ができました。あらためて、ありがとうございました。
 低体重出産だったムスメも小ぶりながらスクスクたくましく育ってくれています。やんちゃぶりに手を焼きながらも楽しく過ごしています。
 先生が私におっしゃった「こうするのがいいと周りが勧めても、あなたがそれを納得していなければそれは幸せなことではないから」という言葉が心に残っています。このブログでいろんな「重いできごと」を見るたび、医療者としての「安心、安全」よりも、私の「幸せ」を大切にしてくださったことがどれほど勇気のいることだったかを感じています(当時はそんな重さも感じさせないほど飄々としていらっしゃいましたが)。
 私は、自分の病と付き合う中で、いのちのありようについてずっと考えてきました。いのちのこと、人の力ではどうしようもない事が起こることもある。だからこそ、自分の気持ちに正直に、結果を引き受ける覚悟を持ってお産に臨みたかった。そんなことは先生にはお話しませんでしたが、きっと私の気持ちを汲んでくださっていたのだと思います。でも、私のそういう思いを知っていただいていたなら、短い診察時間の中でももっといろんなことをお話できたのかもしれないといまさらながら思ったりもします。
 少なくとも新しいいのちを宿した妊婦さんとそれに関わる医療者とが、いのちのことを少しでも語り合えればいいのになあと思います。
 なんだか取り留めなく長々と書いてしまってすみません。ムスメと外遊びに出かけ、いろんなお母さん方と話したり、子どもたちの様子を見たりしていると、いのちのこと、生きることについて、思う事がたくさんあります。私にできる事が何かないだろうかと思いながらも、誰かとそんな思いについて話し合うことさえままならない状況…。ふと、竹内先生とお話したくなりました。

投稿: あや | 2007年2月22日 (木) 21時38分

竹内先生、こんばんわ。
私は、5年前、初めての妊娠で7ヶ月目に入る時、前置胎盤で出血し、赤十字でお世話になったものです。
毎日毎日、いつ出血するんだろうか?
お手洗いに行く度、ヒヤヒヤしながら、3ヶ月すごしました。途中、かなり出血してしまい、2週間入院もしました。
先生の大丈夫!大丈夫!お腹の子は元気だよの言葉にどれだけ励まされ癒されたことかわかりません。
今年の1月に、下腹部痛があり、赤十字に問い合わせして、初めて先生がお辞めになった事を知りました。第2子も、先生に診て頂きたいという希望があったので、竹内正人で何度もストーカーの様に検索し、やっと見つける事が出来ました。
さすがは先生、すごいご活躍ですね。
そして、私の様に、何千人?何万人?と癒された勇気づけられた妊婦がいるんだなと実感しました。
5年経った今、産後から体質が変わり喘息気味になってしまったりと、妊娠出産に対しかなりネガティブになってしまいましたが、先生のコメントを色々と読む内に、また頑張ってみようかなという気になりました。
益々のご活躍、陰ながら応援しております。

投稿: iku | 2006年12月26日 (火) 23時18分

竹内先生、はじめまして。
私は11月29日に男の子を出産しました。息子は生まれてから6分後に小さな命を終えました。
22週の検診でレモン兆候があるから、周産期医療センターそある病院にと紹介状をわたされました。私は看護師でしたのですぐに大学病院の図書館で調べました。染色体異常や低出生体重児の可能性は覚悟しました。しかし、病院での診断結果はポッター症候群。予後絶対不良でお腹からでたら生きることができない、またはお腹の中で亡くなってしまうだろう・・・と。その時点で23週に入っていたので、人工死産は選択できないからお腹の中で亡くなるのを待つしかないと言われました。それから毎週検診に行きました。体重や血圧、尿検査をすることもなく、ただ生きているか確認するだけ・・・。母子手帳の検診の欄が22週から空欄になっていたことがすごく悲しかったです。まだこの子は生きているのに、もう1つの命として扱ってもらえないのか?と怒りがこみ上げていましたが、必死でこらえました。周りの妊婦さんがエコーの写真を持ってでてくるのが嫌でたまりませんでした。

家ではだんだん子どもの話題はでなくなり、周りからはこの状況が長く続かないほうがいい、残念だけど次また頑張れば、若いのだからと言われ続けました。
私は、いくら周りから言われても1日でも長く一緒にいたい。お腹の中で必死に生きている私の子がかわいくて仕方がなかった。それをわかってもらえないならと、だんだん子どもの話題は避け、考えることをやめるようになりました。今思うと、もっといっぱい話してあげればよかったと後悔しています。
そして、36週にはいった時、先生から胎盤劣化から早期剥離の危険もあるから、入院して子宮口を広げる処置・薬で陣痛を起こす方法もあると提案されました。正直、私は1日・1分でも長く一緒にいたかったのですが、話合って37週で入院しました。ラミナリアで処置をして、2日目に入れかえたころから腹痛がはじまりました。助産師さんもラミナリアの刺激で起こることだからとそのままにされましたが、その後6時間、どんどん強くなる痛みに耐えられず助産師さんを呼ぶとそのまま分娩台へ行き、10分後には生まれました。私は、初産でしたから、陣痛がどんなものなのかわかりません。陣痛じゃないと言われたら我慢するしかありませんでした。でも陣痛だったのです。何で分かってくれなかったのか?と怒りもありましたが、768グラムの小さい身体で、一生懸命生まれてきてくれた息子をみたら、喜びがこみ上げてきて、そんな怒りはなくなりました。その日は息子が亡くなった悲しみはなく、生まれてきてくれた喜びだけがありました。その後、退院するまで、家族3人で過ごすことができました。
あとで聞いたところ、ポッター症候群の症例は2例しか見たことがなく、生きて生まれてきたのは初めてだったそうです。私は、これから私のようなお母さん達の励みに少しでもなれればいいな。助産師さん達が話してくれるといいなと心から思いました。ポッター症候群は資料がとても少なく、情報がありません。不安な妊娠生活、ましては初産であれば、情報がないのは、とても辛いことです。私はたまたま「赤ちゃんの死を前にして」を手にすることができ、赤ちゃんが亡くなったあと何をしてあげればよかったか、経験者の方の意見を知ることができ、息子には、たくさんのことをしてあげることができました。死産や新生児死を経験するお母さんがいることは辛く悲しいことですが、なくならないのであればせめて後悔がないようにするための情報が、手助けがあればいいなと思います。

このような症例にあたって、先生方は何て言ってよいのかわからず、大変な思いをしていると思います。私も主人も医療者ですから、先生や助産師、看護師さん側の立場もわかります。実際に経験したことがないのだから、このような時にどうしたらいいかわかるはずがありません。わからないのなら、無理に何か言ってくれなくていいのです。
悲しい思いをしているお母さん、お父さん達にそれ以上の悲しみ、怒りを与えないようにしていただきたいです。

私は、主治医、担当の助産師さん、スタッフの方に大変感謝しています。また、竹内先生のブログ、著書、経験者の方の意見などにも大変勇気づけられています。
いつか、私も経験者として、医療者として、残念だけれども私のような経験をするお母さん達の味方になりたいです。

大変長く書いてしまいましたが、読んでくださりありがとうございました。まだ息子を亡くして1ヶ月で心も身体も回復しませんが、いまの気持ちを聞いてきただけたらと思い、書き込ませていただきました。お体に気をつけてお過ごしください。

投稿: ウリ | 2006年12月26日 (火) 16時58分

竹内先生 はじめまして。
以前から度々こちらへお邪魔しているおかよと申します。
今までにも何度か辛くなり、その度に、コメントを残させていただこうかどうしようかと悩み、結局そのまま立ち去ることを繰り返してきました。
しかし今日は決心して、こうしてキーボードを叩いています。
私は人工死産のサイト http://www15.ocn.ne.jp/~nikomama/
を運営している一経験者です。
1998年に第1子である娘を妊娠20週頃の前期破水により、人工死産の選択を突きつけられ、21週4日でお別れしました。
サイトを立ち上げた当初の目的は、娘のことを「無かったこと」にしたくなかった。忘れたくなかった。・・・だったからでした。そしてどこに向けたらいいのかわからない無念さや悔しさ、怒りといった感情のはけ口を探していたのかもしれません。
サイトを立ち上げて2年半。今までに人工死産経験者の方から数多くのメールをいただき、現在は、経験者のためのサイトでありたいと願って細々とではありますがサイト運営を続けています。

今までに一番辛かったメールは
「今、人工死産するかしないかの決断を迫られている方」からのメールと、
同じような条件下にもかかわらず
「赤ちゃんの命が助かった方」からのメールです。

前者の場合は、私に何らかのアドバイスを求めていらっしゃることがわかるのですが、私はただの経験者に過ぎず具体的なアドバイスは一切できません。ただ、手元にある資料を送ったり医師とよく相談されてくださいと伝えることしかできません。そして同じように苦しみ崩れてしまうことがほとんどです。
後者の場合は、助かった赤ちゃんのご誕生を心から喜び、これからの無事な成長をお祈りさせていただくとともに、もう一方で「もしかしたら私の娘も助かったのかもしれない。それなのに、私は娘を死に追いやったのか。」と、再び自責の念に駆られてしまうことになります。
竹内先生の著書、「赤ちゃんの死を前にして」の58ページに【流産とは妊娠22週未満の妊娠中絶をいう】にも
>>>
例えば、妊娠20週前後での前期破水などで胎児の予後が危ぶまれるケースでは、22週以前にその子の運命を決める話し合いをしなければならないのが現実である。
 
~中途略~

しかし、「先生の奥さんがこの状況だったらどうしますか」と聞かれると、私はいつもその問いに応えることができず、口ごもり、言葉を濁してしまっている。
今後の経過と予後に関しては、可能性として説明することしかできないが、このような場合、最終的に多くの方が人工妊娠中絶を選択されるのが現状であろう。
>>>
と記されていますよね・・・。

今現在は「22週」という壁が、とてつもなく高く立ちはだかっています。
ですがそれも、1993年以前では1979年に妊娠24週未満の場合を流産と定義され、更に1979年以前では妊娠28週未満だったことから、いつか22週という数字も前倒しになってくるのかなと受け止めてはいました。
それが実際にサイトをご覧になった方から「私の赤ちゃんは助かりました。」というメールをいただく度に、私の心は激しく動揺してしまうのです。

サイトを立ち上げてから、多くの知識を得ました。
多くの出会いがありました。
これこそは、娘が「死して」与えてくれたものです。

ですが、なぜ、娘は死ななくてはいけなかったのか。
なぜ、私が娘を殺さなければいけなかったのか。
8年が経過した今も、その答えが出ないのです。

医療の世界は絶えず進歩しているのですね。以前は救えなかった命が、救えるようになってきたという事実。その片側で、どうしても医療では救えない命があるという現実。
では、私の娘はどちらだったのか。

このままサイトを続けていく自信が、失われていきそうで・・・
すべてを受け止めることが怖くて、逃げ出したくなります。

語弊があるかもしれませんが
「生」が正しく
「死」が悪なのだと思ってはいません。

だけど、いつも悩むのです。

私の大切な天使ママお友達の中にも、全前脳胞症で赤ちゃんを人工死産でお空に還された方が数名いらっしゃいます。
今回のUPされた記事を拝見して、どっと気持ちが溢れ出してしまいました。

失礼がありましたら・・・どうかお許しください。

投稿: おかよ | 2006年12月17日 (日) 14時13分

今日、ひょんなことから先生のページにたどりつきました。
これも何かのご縁、と思い、コメントをさせていただきます。

私は、今妊娠10ヶ月を向かえ、あとは出産を待つのみ。
初めてのお産なのでドキドキです。

先生が書かれた「2」の、ブログを書くきっかけのお話について、先日、分娩予定の病院での母親学級で、産婦人科の先生が同じような趣旨でこの出来事について触れていらっしゃったので、このことについて思ったことを書き込みたいと思います。
(命とはあまり関係ないかもしれませんが・・・(汗))

その先生も、同じように
「医者としてせいいっぱいのことはしていても、それが命にかかわるものである限りは、悲しい結果となることもある、ということを、あらかじめ皆さんにもご理解いただきたい。当然、だからといって私たちが医者としての責任を果たさないということではない」から、
というようなことをおっしゃっていました。

この母親学級で、これだけ医療が進歩していても、年間100名の妊婦さん、そして1000人中4人の赤ちゃんは亡くなってしまう、そしてこの人数は、実は世界で一番少ない、ということを教えていただきました。日本の医療ってすばらしいんですね。

はっきり言って、この講義を聞くまでは、妊婦として、お産をし、母子ともに健康であることが病院に求める当たり前のことだと思っていました。
竹内先生のお言葉を借りるとすれば、まさに「妊婦さん、ご家族と産科医療者との今の関係は、暗黙のうちに「幸せな結果」を前提にし」ていました。

出産時に万が一の事故があった場合、医者がきちんと説明責任を果たす、ということはとても大事なことだと思います。

でも、それ以前に、お産に望む家族全員が、「命を授かる」ことに対する考え方を変えていかないといけないと思いました。
「妊娠したら無事生むのが当たり前、あとは医者がなんとかしてくれる」
ではなくて、
「命を授かるのは私たち、医療はその手助けをしてくれる」
という意識をもっと強く持たないとなーと思います。
もちろん、そこには、お医者さんも私たちに対して誠意を持って精一杯の手出すけをしていただける、ということが前提にありますが。

こういう意識への働きかけを、産婦人科医一人ひとりに行っていただき、そして私たち妊婦もそれを納得する、ということができれば、妊婦および家族と、産婦人科医の先生方との絆もまた違ったものになっていくんじゃないかなーと思いました。

投稿: 星野 | 2006年12月15日 (金) 15時09分

 竹内先生、とても心温まるお返事をいただきましてありがとうございました。赤ちゃんを亡くした悲しみ癒えることはないと思いながら、去年はクリスマスやお正月が来たのも分からない程でした。今年はクリスマスのケーキを予約しようなど考えることが出来るようになり時間が少しずつは気持ちは落ち着いてきているのかもしれません。
 本当は赤ちゃんの一周忌に夫と一緒にお参りしたりエコーの写真など思い出のものを見たりする時間がほしかったのですが、夫はそういう後ろ向きなことはしたくないみたいでした。それ以前に赤ちゃんを亡くした日も忘れているみたいです・・・夫には夫の考えがあるでしょうから仕方ありませんね。
 この一年、流産や死産などに関する本をずいぶん読みました。その中でも竹内先生の<赤ちゃんの死を前にして>の本は何度も読ませていただきまして本当に私の心の支えになっています。
 時間をかけて少しずつ前向きになれるよう過ごしていきたいと思います。どうもありがとうございました。
 

投稿: せつこ | 2006年11月28日 (火) 06時45分

はじめまして。
二人目を妊娠中です。何の問題も無く出産できると思っていたのですが・・・。8週の時に切迫流産で安静にと言われ、安静にしていました。出血も止まり落ち着いたと思ったら、14週で水頭症もしくは、脳胞症と診断を受けました。まだ小さいからはっきりとは判らないけど、頭の部分が周りの羊水と同じに黒く映っているのが心配と言われました。

現在19週 4つの病院で診察を受け『全前脳胞症』と診断されました。早い段階での診断なため、人工死産をと、どの病院でも言われました。そして家族からも・・・。どの医師も生まれても生きれない命をお腹の中で育てることは薦めない、またNICUで治療も床数が足りないので、診ることはできないだろう。NICUで診れないのなら、何処の病院で出産しても同じなので、ウチの病院で産まなくてもと口を揃えて言います。
19週にもなると、胎動もはっきりしてきます。人工死産なんて出来ません。どんな結果が待っていようと、授かった命なので、産みたいのですが、医師の言葉が不安を駆り立てます。

最近の医療事故などの影響なのでしょうか?
私は、いったい何処でこの子を産んだら良いのでしょうか?
それだけが、今の不安です。

投稿: サカナ | 2006年11月17日 (金) 21時49分

竹内先生、こんにちわ。初めてコメントを書いています。私は今年7月に吸引分娩しましたが、胎便吸引症候群で出産して9時間後に赤ちゃんを亡くしました。
妊娠中は順調に過ごし、これといって問題もなく無事に生まれてくることを疑ってもいませんでした。
4ヶ月たって気持ちの中には「医師の早い判断で帝王切開してくれていたら」「過強陣痛を放っておかれたのでは」など病院と医師への不信感は消えません。元気に出てこれたはずのわが子に申し訳なくて。今でも悲しみは癒えないけれど
でも、もう前向きに考えるしか方法はないと自分に言い聞かせ次の妊娠へ希望をつなげています。が、その反面また同じことがおこってしまったらどうしようと不安な気持ちも拭いさることができません。
周りに同じような経験をした人もいないし、誰にも相談できずにいます。
もし次に赤ちゃんを授かることがあれば、予定帝王切開をしようと思っていますがどう思われますか?帝王切開もリスクがあることも多少勉強しましたが、もう一度自然分娩をしようとどうしても思えません。
初産でこのような結果になってしまったのですが、次に自然分娩をしたらまた同じことがおきることもあるのでしょうか?胎便吸引症候群で赤ちゃんが亡くなるケースはあまりないと、前回の医師に言われたのですが。
前回の経験で私は陣痛が強く、赤ちゃんがどんどんおりてきていたのに、初産で高齢(36歳)ということも関係あるのか子宮口がなかなか開かず、羊水が濁ってしまったようです。
それと、病院の選び方もわからなくなってしまいました。
前回は、自宅の近くが便利かとそれだけの理由で決めてしまい、本当に後悔しています。自分にあった病院とは何なのでしょうか?自分らしいお産とは何なのでしょうか?
竹内先生のご意見をお聞かせいただけると幸いです。


投稿: ブレンダ | 2006年11月14日 (火) 19時22分

竹内先生、初めまして。私は、昨年、流産とその後お腹の中で赤ちゃんを亡くすという出来事が続きました。
 それは、とても悲しくつらい事でしたが仕方のないことですが、夫との気持ちのずれをどうしたらいいのか思い悩んでいます。夫は医師です。いつも冷静であまり感情的になるような人ではありません。流産や赤ちゃんが亡くなったことが分かったときも、残念だけど誰にでも起こりうることだからしかたないね、早く、手術して出したほうがいいね、など教科書に書いてあるようなことばかり言われました。
 手術までの数日間、私は毎日、泣いていました、悲しくて胸が張り裂けそうと気持ちをはなすと、何で?と夫は言いました。おぎゃーと産声を上げてからが命でありその前に絶えてしまうということは命とは言えないと思うと夫は感じるそうです。   
 流産してから身体と心が空っぽになってしまい1年以上が過ぎても日常の生活を取り戻せずにいます。赤ちゃんを亡くした悲しみを夫にも分かってほしいだけなのですが、いくら話し合っても私の気持ちは理解出来ない。と言われてしまいます。やはり、私自身の問題なのでしょうか・・・
竹内先生のご助言をいただけると幸いです。

投稿: せつこ | 2006年11月14日 (火) 14時37分

2003年7月16日に双子(優雅と孔輔(死産))の出産でお世話になった古澤です。
先生が「ブログをはじめました、どうされてますか?」とメールをいただいた後、すぐにインターネットを申し込み(笑)ずっと読ませていただいておりました。
初めて読んだ日はなんだか涙が止まらなくて・・・
ただ元気ですとだけ書き込みたいと思いながら一年以上経ってしまいました。
最近、優雅は私のマネをして孔輔にご飯を持って行ったり、お菓子やアイスを買うと自分の分を分けてあげたりしています。
ある日、優雅の声がしないのでどうしたのかと思ったら、孔輔の居る部屋の戸を閉めて孔輔に何か話し掛けているようでした、私に気がつくとすぐにやめてしまいましたが・・・
何を話したのかは内緒のようです。
三年経って私の思いもさまざまで、あるテレビ番組で「双子の妊娠中のトラブルを最新医学で救った」という実話の再現を放送しているのをたまたま目にしました。
途中からだったのですが、トラブルの原因となる血管をレーザーで焼き切る手術を受け、双子は危機を乗り越え、元気に生まれる。というものでした。
その時、私が最初に浮かんだ言葉は「ずるい」でした。
孔輔だって、助けたかったのに・・・って悔しくて、助かってよかったねってそのときは思えませんでした。私のような思いをする人がいないでくれたらいいのにってずっと思っていたのに、こんな風に思うなんて今思うと悲しいのですが、瞬時に頭に浮かんだ言葉でした。
こんな風にマイナスな気持ちになったのは初めてでした。
普段生活していてよく思うことは、「二人いたらどうしていたんだろう」です。優雅が抱っこしてとか、おしっこぉ等と言ってくるときや、生活しているとよく思います。
どうしているか、答えを出すまで考えるわけではないのですが、大変だろうけど二人でいてほしかった、二人でいさせてあげられなくてゴメンネと思うことが日々の中で一番多い思いです。
また新しいサイトを始められたのですか?先生は本当にすごい!命の大切さを伝えるため、命を守るため、命の誕生、成長を助けるために生を受けてこられたように思ってしまうのは私だけでしょうか?
どうか無理をなさらないで、ご活躍ください。
思いついたことを長々とすみません、また書き込ください。

投稿: 古澤希代子 | 2006年9月19日 (火) 01時08分

 はじめまして。私の想いを誰かに聞いて欲しくて書き込みさせてください。
 私は助産師3年目です。3月に8週6日稽留流産(枯死卵)で流産手術を受けました。
 あかちゃんが大好きで助産師になりました。妊娠するのをとても楽しみにしていました。妊娠を知ったときは本当にうれしくてうれしくて大声で「妊娠しましたー!」って叫びたいくらいでした。 本当に天国にいるような気持ちでした。でも、流産してからは地獄の底をもがいている状態です。半年たった今も同じ気持ちです。

 助産師の友人に流産したことを話したら「よくあることだから気にすることない」と言われて、すごく傷つきました。初期の流産は悲しくないとでも思っているのでしょうか?
 確かに医療者にとっては初期の流産は決して珍しいことではありません。でも本人にとってはよくあることでは済まされないのです。妊娠を知ったその日から気持ちはすでに「おかあさん」になっているんです。それ以来、助産師なんかに相談しても無駄だと思うようになりました。インターネットで同じ経験をした人と想いを共有するほうが心が楽になりました。

 多くの助産師がそうであるように、私も流産する前は幸せな普通のお産にしか目が向いていなかったように思います。それでも流産や死産した人の気持ちを少しでもわかりたくて「誕生死」や先生の著書である「赤ちゃんの死を前にして」を読んでいましたが、今思うと、うわべだけだったのかもしれません。流産は悲しいことだと思っていたけど、こんなに辛くて苦しいなんて知らなかった・・・。
 でも流産してから気づいたことや教えられたことがたくさんありました。この経験は助産師としては決して無駄ではないと信じています。
 本当は辛くて仕事なんて辞めてしまいたいと思っていましたが、あかちゃんがどうして私のところに来てくれて、そしていなくなったのかを考えた時、それはきっと私と同じように悲しんだり苦しんだりしている人のために何かして欲しいのではないかと思いました。

 妊娠は楽しいことばかりじゃないく辛い思いをしている人もたくさんいるんですよね。それに気づかせてくれるためだったのかもしれません。こんな思いをしない限りは何年働いたって気づくことができなかったでしょう。
 流産や死産、不妊など辛い思いをしている人の心のケアができてこそ、本当の意味での「助産師」になれるのではないかと思うようになりました。他にも思春期教育や更年期の方のケアなど、助産師って奥が深いなと感じています。
 
 自分なりにできることを考えて、流産手術用の退院指導の用紙を作り直したり(今までのは中絶の方と一緒にされていたので)、流産、死産された方のために小冊子を準備したり(病棟のカンファレンスに提案しましたが、流産には必要ないなど、ひどい意見があり検討中です)していますが、他のスタッフとの温度差を感じています。やはり経験した者でなければ辛さはわからないのでしょうか。
 ある意味、産科医や助産師は勤務年数が経てば経つほど流産や死産に慣れてしまっている(もちろん、そうじゃない人もいますが・・・)気がします。悲しいですが。

 あと私が感じたことは助産科学生時代に流産や死産された方の「心のケア」について学ぶ時間がなかったように思います。(他の助学はあるのかもしれませんが)1時間でも学ぶ時間があったらよかったです。そしたら流産を「よくあること」と言う助産師は減るのではないかと思います。

 長い文章を読んでくださってありがとうございました。
 朝晩冷え込み、秋風が冷たい季節になってきました。先生もお体にはくれぐれもお気をつけてご自愛ください。

投稿: とら子 | 2006年9月18日 (月) 21時49分

 竹内先生、お久しぶりです。3、5、7年前に出産のため日赤でお世話になった者です。(それ以外にも切迫流産や子宮筋腫の手術でもお世話になりました)私はおそらくもう出産することは有りませんが、先日命について深く考えさせられる経験をしました。
 8月に入ったある平日の午後、パソコンをしている私の周りで子供たちは遊んでいました。突然、5歳になる娘がロフトに上がるはしごの一番上から転落した(高さにして2.5mはあると思います)のです。目の前で見ていたわけではないので、結果的に「たぶんそうだろう…」と推測するしかないのですが。ロフトにおもちゃを運ぶためはしごを上っていたけど、バランスを崩し落下したようです。
右手を握り締め唸るような声を出し、意識が朦朧として泣かない娘。すぐに救急車を呼び、救急病院に運ばれました。レントゲン、CTを撮り診断結果は…頭蓋骨骨折とそれによる硬膜外血腫、反対側には脳挫傷ができていました。「出血の範囲、量が広がっていれば直ちに緊急のオペになり、後遺症や障害が残ることもある」といわれました。
 すぐに主人、両親に連絡をして、祈るような気持ちでICUのベットに横たわる娘の傍らでただ時間が過ぎていきました。
 あの時は本当に生きた心地がしませんでした。「私のせいで、こんなことになってしまった。娘に何かあったらどうしよう…」こんなことばかり考えていました。夜にもう一度CTを撮ったところ、状態は初めに撮った画像と比べほとんど変わりありませんでした。「かなり頭を強く打ったから72時間は安心できない」を言われ、一般病棟で様子を見ました。その後1週間ほど入院しMRIも撮影しましたが、「これ位の出血量なら後遺症、障害は残らないでしょう」と言われ退院できました。
 しばらく安静にするように指示は出ましたが、子供なので家の中で走り回っています。私はとてもナーバスになり、ピリピリしています。これを書いている今もあの時の様子を鮮明に思い出し、胸が苦しくなります。7歳の息子も事故の一部始終を見聞きしている(入院中は私は病院に泊り込みだったため、他の子供達は実家に預けていた)ので精神的に不安定になっているように思います。ただ、肝心の娘は事故の記憶がないようで、それだけは救いに思います。
 元気に産まれてきて当たり前のように生活していますが、親の過失で命の重大さに直面するとは思いませんでした。先生には「あれだけの高さから落ちてこれ位の怪我ですんで助かったのは、本当に強運の持ち主だよ」と言われました。
 主人は「1秒たりとも目を離さないで育児をするのは無理だよ。はしごが上れる状態にあったのは、自分にも責任がある」と言って私を責めませんでした。「家族全員が病気、怪我をせず健康に暮らしていければ充分」です。その割には毎日怒ってばかりいる私…反省してます。この事故で主人、両親、友達のありがたみ、あたたかさがとても身にしみました。
 先生もお体に気をつけて世界の人のためにガンバってください。陰ながら応援しています。

投稿: おこりんぼママ | 2006年8月31日 (木) 03時07分

はじめまして
誰かに教えて欲しかった事、聞いて欲しかった事書き込みます
4年前に不妊治療の末、双子を妊娠・出産しました
5ヶ月を目前に(安定期の響きから5ヶ月突入すれば安心と思ってました;)切迫で入院となり、以後37w4dで出産するまで病院生活でした
入院中はいつでも医師に見てもらえる安心感がありましたが、”普通にお産できない”=”駄目な私(妻・嫁・女)”と言う思いが強く、いざ出産と言う段になって帝王切開に踏み切れませんでした
医師からは帝王切開を勧められましたが、看護婦さん達の経膣分娩で大丈夫じゃない、頑張ろう!!的な支持もありその日を待つ事にしました(36w頃よりウテメリン・マグネゾールの使用を止めました)
陣痛がはじまり陣痛室へ移動した直後、陣痛の痛みよりも後頭部が猛烈に痛みだし私の記憶は途切れました、、、子癇だそうです
”普通にお産”したい、もう体験する事が無いかも知れない我が子の誕生を体感したい(この時の私には帝王切開はしてもらうもので、自分で産むと言う感じでは有りませんでした)
”普通に””自然に”この言葉に惑わされ帝王切開をとりやめたが為に、母子共に危ない橋を渡ってしまいました
幸いな事に陣痛室には主人が付き添っており、白目を剥いて泡を吹く私は直ぐに医師にみてもらうことができ、第1子を経膣で、第2子を緊急帝王切開で取り上げてもらったそうです
産後は無事で何よりと、医師から子癇について詳しく説明も無く、私も1日も早く我が家に戻りたい一心から特に質問するでもなく病院を後にしましたが、2年後に第3子を妊娠、里帰りで別の病院へかかった所、”良く助かったね、今回は覚悟の上の妊娠だよね、帝王切開ね”と言われ驚きました
多胎だったから、入院期間が長くて体力が無かったからくらいに思っていましたので、、、
”子癇”について情報収集しようと思いましたがなかなか集まらず今に至ります

年明けに知人の奥さんが第2子出産後亡くなられました(詳しくはしりませんが)
”自然なお産”=”自宅出産”、”ゴージャス出産”の様なイメージが先行している近頃ですが、お産の危険な部分に目を向けず私のように安易に判断してしまう人が出ないよう、”危険な話し”もしっかりと妊婦の耳に入れて欲しいなーと思います

産後(私は産後の認識無し)NICUの我が子の写真をICUにて目にしましたが、両親しか入れないはずのNICUで義母が嬉しそうに初孫を抱いている写真でした
看護婦さんたちの計らいで、主人と義母が入室した様ですが、後々(第3子が誕生するまで)まで私の中では”義母に我が子を取られる”と言う感情となってくすぶり続け、義母に対する無意味なライバル意識の元となりました
産後の心のケアーも後の育児に影を落とすので、病院側も配慮して欲しかったなぁ

とりとめもなく長くなってしまい失礼しました

投稿: かじかじ | 2006年7月24日 (月) 17時03分

竹内先生、お久しぶりです!!
一年前の6月に第3子(男の子)を出産しました。上のお姉ちゃん達は現在8歳の双子です。
双子の出産の時は28週で出血、竹内先生に診察して頂き「あ~お母さん、頭が見えてるよ・・・」と言われそのまま入院。以後2週間ベッドの上での生活の後に31週で破水、出産となりました。体重が1400g、1500gと小さかったので2ヶ月の入院となりましたが、現在ではクラスで常に後ろの方です。
第3子の妊娠がわかって初診から竹内先生にお世話になりましたが、私は年齢のこともあり、うかない顔をしていたのでしょう。竹内先生は「おめでとうでいいんだよね?」と心配顔。そして私は羊水検査の事を聞きましたよね。あの時は安易な気持ちで聞いたのではないのですが、今でも頭にひっかかっています。なんで聞いてしまったのか・・・自分では命の選択などできないのに・・・。後に羊水検査はしないと言った時の竹内先生のニコッとした笑顔が忘れられません。
毎回の健診では「大丈夫、大丈夫!」パワーを頂き、前回の出産ではできなかった臨月までもたせる事もでき、その臨月にお姉ちゃん達のバレエの発表会も観ることができました。先生の『大丈夫』はかなり効きますよ~。
そしてbigで生まれた息子と一緒の退院は、私にとってかなり嬉しい事でした。思いがけない妊娠が私の夢をかなえてくれた・・・感じです。
竹内先生がお辞めになる時、ちょうど産後健診で診て頂いたのが最後になりましたが、一年後こうしてまたお会いできました。これからも拝見させて頂き、パワーを頂きます!
お忙しい毎日とは思いますが、お体に気をつけてくださいね。

投稿: emi | 2006年6月30日 (金) 13時22分

meguさん、おたよりありがとうございました。そして、妊娠おめでとうございます。
今、アメリカのメリーランドにいらっしゃるのですね。
言葉の壁はあっても、気持ちはかならず、伝わります。
信頼できるスタッフと、ご家族の支えのもと、自分自身を信じmeguさんらしいお産ができること、
心よりお祈りしています。 きっと、大丈夫ですよ!

投稿: 竹内 正人 | 2006年6月 6日 (火) 22時30分

 竹内先生、ご無沙汰しております。私も、2004年に女児を出産した際に、毎月の健診で先生にお世話になりました。出産当日も、先生は翌日からの海外出張を控えてお忙しいにも関わらず、分娩室に様子を見にきて下さり、私は、先生のお顔を拝見したと同時に出産への不安がとても、和らいだのを覚えています。
 私も、初めての妊娠が流産という悲しい結果でしたので、2度目の妊娠の際も、不安にかられ、喜びを変えることがなかなかできませんでした。でも、毎月、先生が笑顔で「大丈夫!赤ちゃん、すごい元気だよ~」と心音を聞かせてくれるたびに、安心した気持ちで過ごすことができました。診察中のローカルな話なども、とても心が和みました。
 このブログを拝見したのは、2年ぶりに第二子を妊娠したことがきっかけでした。現在、私は、夫の仕事の都合でアメリカ、メリーランド州に住んでいます。妊娠が分かり、今日、初めて初診を受けました。今回は、大好きな竹内先生の元ではなく、この地でベイビーを出産しようと思っています。日本との医療の違い、なにより言葉の壁は大きいのですが、竹内先生という一人のドクターを心から信頼して、そして赤十字産院のスタッフのみなさんの献身的なサポートのおかげで忘れることのできないお産ができたように、今回も、ドクター、そしてスタッフを信じて、自分らしい出産ができたらと思っています。
 先生も、どうかお身体を大切になさって下さい。先生のご活躍、陰ながら応援しております。

投稿: megu | 2006年6月 3日 (土) 13時07分

竹内先生のブログを楽しみに拝見させて頂いてます。特に、お産をされた方、流産・死産を経験された方などのお話は自分が病院で経験した事も重なり涙が出てきます。

私は普段から涙もろい方なのですが、臨床で働いてた時は、看護学生時代に叩き込まれた「プロ意識」という言葉が頭にあり、また、自分がどうしたら良いのかと言う戸惑いもあり患者さまの前で泣くという事は殆どありませんでした。トイレや誰も居ない分娩室で何度も隠れて泣きましたが・・・。

でも、今思うと「看護師=患者さまを良い方向へ導く立場」という観念に捉われ過ぎてた様に思います。もっと患者さまと同じように悲しみを表出し(戸惑ってる自分も含めて)、一緒に立ち止まっても良かったんじゃないか・・・って思います。
患者さまには一生懸命誠実に接してきたつもりでいましたが、それと同時に今まで私は強がり、自分を必死に守ろうとしていた様な気がして、患者さまに申し訳ない気持ちでいっぱいになり、再び涙が出てきます。

後、1年半後に日本に帰る予定でしたが、私の行きたい学校・コースの関係であと2年間ロンドンで勉強する事になりました。勉強会や病院でのお話等を見ると私も早く助産師として働きたい気持ちでいっぱいになります。正直焦る気持ちもあります。

でも、私がこうしてロンドンに来れたのも、時間やお金、そして何よりも家族やたくさんの人の支えや励ましがあってこそだし、臨床を離れてる間もこうやって先生のブログで患者さまの言葉や先生の言葉に刺激されながら自分なりに、今までの自分・これからの看護観を見つめていこうと思います。

投稿: サクラ | 2006年5月29日 (月) 22時29分

少し介護の話題を・・・。
夫は、入れ歯を作る仕事をしていますので介護にも縁があります。施設やご家庭で寝たきりになってしまっている方に、きちんとあった入れ歯を作ってさしあげると、長い間あまり話さなかったり、死にたいとしかいわなかった方が、入れ歯に対して”文句”を言うようになるそうです。”文句”を言うということは、もっといいものが欲しいとか改善して良くして欲しいということ。その”文句”が聞けるということはすごく前向きな発言であるとのこと。やはり自分で食事をするということは、大事なことで生きる力になるんだなぁと感じました。

投稿: mami | 2006年5月28日 (日) 22時44分

竹内先生はじめまして。
いつもブログを拝見させていただいてます。

私は昨年8月に第二子をエナで出産(帝王切開で)しました。
でも誕生死(死産)でした。
37週6日に息子は私のお腹の中で亡くなってしまいました。

妊娠中は何事もなく経過は順調だったので、かなりショックでした。
しかも二日後には帝王切開の予定日だったんです・・。
でも、息子とは火葬までの三日間ずっと一緒にいることができました。
手形・足形をとり、へその緒をもらい、私が提案して髪の毛と爪もきりました。
オムツ替えや着替えもさせてもらえました。

正直はじめは息子の体がいたんでいくのが心配で病院側に預かっていただくのが普通だと考えていました。
でも助産師さんが「お部屋に置いて一緒に寝てもよいですよ」と言ってくださったのでずっといることができました。

大きな悲しみの中にいるはずなのに、生きてはいない息子を抱きながらとても穏やかで幸せな気持ちになりました。

宿田先生も山崎先生も外来が終わると必ず病室に来てくださいました。
宿田先生には本当にいろんなお話をしてもらいました。
もちろん竹内先生の誕生死のケアのお話も教えていただきました。

今回は残念な結果になりましたが、私は産院に恵まれていたと思っています。
もし、ケアのまったく無い産院だったとしたら、悲しみを乗り越えて前に進んでいくのにまだまだ時間がかかったと思うのです。
エナのように死産後のケアができる病院がもっとたくさん増えるとよいですね。

もし次、妊娠できたとしたら、第三子もエナで産みたいと思っています。
そして竹内先生に「大丈夫、大丈夫。」とお腹をさわって言っていただきたいです。
その時はどうぞ宜しくお願いします。

投稿: kasa | 2006年5月28日 (日) 21時18分

本日は、とてもたのしい時間をありがとうございました。
たくさんのありがとうが聞けてとてもよかったです。
池川先生の”自分にもありがとうを”という言葉を聞いて、大切なありがとうを言い忘れていたことを思い出しました。父と母に”産んでくれてありがとう。そして育ててくれてありがとう。”を忘れていました。感謝できる心を持つように育ててくれたこと本当に感謝しています。そして最近ですが、本当に愛情をたっぷり注いでくれたことを実感します。この気持ちを次世代に、次次世代に繋いでいけるように考えて行きたいと感じました。

投稿: mami | 2006年5月27日 (土) 22時05分

21日のエナの講演会、私も夫婦で参加させていただきました。
私も夫も、あっという間の楽しい時間でした。
講演会の中で、自分の本来持っている力を出すためには何が必要かというところで、私は「自分を信頼する力」と答えたのですが、そのことについてこの4日間ずっと考えていました。
というのも、いつも自分を信頼することをモットーにやってきたつもりなのに、今回の妊娠ではどうもそこのところがグラついているのではないかということに、改めて気付いたからです。
一人目の子は12年前に神戸の毛利助産所さんで水中出産、お産には3日かかってしまったけど、お産って毎年あるといいなって心から思った貴重な体験でした。
その後シングルマザーとなり今の夫と結婚したのが昨年で、流産も経験してお産を毎年というわけにはいきませんでしたが、今年に入り二人目を授かることが出来ました。
12年ぶりの産院探し、先生のお話にもありましたが、北海道の産科事情、自分も医療職(理学療法士です)なので十分わかっていたつもりでしたが、ここまで途方にくれることになるとは思いもしませんでした。(マタニティウエアもいろんなグッズもとっても進化してるのに!)
自分なりのお産をする、そんな当たり前に思えることが12年たって逆に難しくなっている現実、そんな中、エナにたどりついたのは私にとって幸運でもあり必然でもあり。
でも・・・。42歳という年齢、自宅からエナまでの2時間の距離、仕事の責任等々、自分で自分を見つめたときにはすべてOKであったはずの事柄が、周囲の心配や指摘を受けるたびに揺らいでいき、何だか自分のお産でなくなっていくような感覚に陥っていました。
けどそれは、周囲のせいではなく、産院探しの疲れや逆にエナに行けば大丈夫といった自分の甘えから、自分を信頼することを忘れかけていたのですね。
まだ17週目、助産師外来も1回目がすんだところ、そんなこんなで助産師さんにもまだ十分自分の思いを伝えられていない自分がいます。これから「わたしのお産」に向けて、自分の心と体をしっかりみつめ自ら動いていきたいと思います。
とりとめもなく書いてしまいましたが、先生のお話をきっかけに自分を見つめなおすことが出来ました。
心優しい夫も、初めて経験することに戸惑いつつも、私の思いを受け止めようと様々なことに一緒に取り組んでくれていて心強い限りです。
ありがとうございました。

早いお産がいいわけではない、その人にあったそれぞれのお産、時間があるという言葉もうれしかったです。
なぜなら二人目は早いというけれど、そしてなんとなく時間をかけたいとは言えない世間の雰囲気にずっと黙っていましたが、3日とはいわなくても今度もできたら丸1日くらいかけてじっくり産みたい、味わいたいなとずっと思っていたからです。

投稿: あき | 2006年5月24日 (水) 22時55分

初めまして
4歳半の長男・来月末3歳になる長女・5ヶ月の次男がいるnunoです。
先生のブログは毎日、云々と頷いたり、涙したりしながら読んでます。
近頃は、子供を授かること・産むこと・育てること・生きること・・・、当たり前のことの様に感じるけど、どれも奇跡に近いことで、日々感謝しなくてはなぁと時折思いつつ、毎日を過ごしています
(その割にはガミガミと怒ってばかりですが)
3人産んで育てて(育てられて)思うことです。
出産・育児に関する情報が余りにも多すぎる上、偏っていたり、都合良く書かれていたりするのが気になります。
授かり産み育てることは、本当に十人十色で正解なんて1つも無いはずなのに、余計な情報のせいで母親達は(特に1人目の)振り回されている気がするのです。
産み育てることは本能なんだから、もっと自分と子供の気持ちに耳を傾けていける環境が必要なのでは・・・と思います。

投稿: nuno | 2006年5月23日 (火) 17時45分

竹内先生、こんにちは。
偶然こちらのブログを発見し、大変嬉しく思っております。
私は2001年12月に竹内先生に男女の双子を取り上げてもらいました。
年末の忙しい時期で、陣痛誘発のため入院し、促進剤も使いましたが本格的な陣痛に繋がらず入院から4日目に帝王切開で出産しました。
妊娠中から竹内先生の『大丈夫、大丈夫』というお言葉は本当に勇気付けられ、不安な気持ちも吹き飛ばしてもらっていました。

昨年夏に第3子を妊娠しまして、再び葛飾日赤にお世話になりましたが、竹内先生はお辞めになったとそこで初めて聞きとても残念に思いました。
が、お医者さまや助産師さん、スタッフの方々みなさんに良くしていただき5月11日に無事男の子を出産できました。
今回VBACにチャレンジし、無事成功できました。
これも竹内先生が子宮をしっかり縫ってくれたからだ(笑)と思い、感謝しておりました。
このブログを発見できたお陰で、お礼の言葉を伝えられることができて良かったです。ありがとうございました。
お体に気をつけてこれからも頑張ってください。
ブログ、これからも拝見させていただきます!

投稿: かぼ | 2006年5月23日 (火) 13時45分

竹内先生、こんばんは。
以前書き込みさせていただきました、tajiと申します。

今日のエナの講演会に参加させていただきました(2月生まれの子を抱いていました)。
想像していたよりもずっと優しく穏やかで温かい先生で、診ていただいている方は幸せだなぁとうらやましく思いました。

話の中で、エナの出産は「個を大切にする」と話されていましたが、本当にそのとおりで、
産むときも産んだ後も、スタッフのみなさんに支えていただいたおかげで、
人に語れる満足いく温かいお産ができたように思います。
私、3人目の出産だけは、いろんな人に自慢してますよ。


私には3人の子供がいます。
一番上の男の子は、発達が遅く、コミュニケーションに問題がある子供です。
初めての子供でしたので、1歳になる前は児童会館などに毎日のように遊びに連れて行っていました。
しかし、歩き始めるのが遅かったり、言葉がなかなか出なかったりで、どんどん同じ月齢の子と差が出てきて、「どうしてこの子は遅いのか?」「みんなにどう思われているんだろう?」と悩み、2人目妊娠中だったこともあり、他の子と会うのが苦痛で会わないようになってしまいました。
1年くらい、そんな状況が続きましたが、これではいけないと思い、いろんなところに出かけるようになりました。
しかし、行かなければならないという思いばかりで、私自身はいつも緊張し、苦痛でいっぱい、楽しむ余裕なんてどこにもありませんでした。
今は幼稚園に通っており、運動能力面も言葉の方も伸びて、他の子と差が無くなってきましたが、コミュニケーション上の問題は残っています。
物の貸し借りなどでの他の子とのトラブルも多く、そんな長男の様子を見ているのが辛くなるときもあります。
でも、それが彼の個性なので、母である私が目をそむけてはいけませんよね。
正直、「辛い、逃げたい」と思ってしまう自分が嫌でたまりません。
もっと上手に彼を受け入れて、彼の個性を大切にしたい。
それができれば母として、人間として、もっと成長できるように思います。

今日の講演をきいて、私が感じたことでした。
なんだか話がまとまらなくてすみません。

投稿: taji | 2006年5月21日 (日) 22時57分

このブログを初めから読ませて頂いています。助産師として行き詰まったとき、自分を見つめ直すことが出来、欠かさず読ませて頂いています。
mimiさんの投稿に、赤ちゃんを亡くしたときに医療者として体験されたことを聞きたいとありましたので、私も思わず投稿しました。
私は竹内先生と出会って、誕生死について赤ちゃんの死を前からとらえることができるようになりました。
竹内先生も言っていましたが、私も助産師として長い間、死産は嫌でした。嫌というと、当事者には本当に申し訳ありませんが、私たち医療者もどう接していいのかわからなかったのです。悲しんでいる人たちとどう時間を過ごせばいいのかわからなかったのです。本当に申し訳なかったと思っています。
医療者として私が考えが変わったのは、亡くなった赤ちゃんはどうして欲しいんだろうと思うようになったら、少しずつ何かが見えてきました。どうしたらいいかわからない私の気持ちも、赤ちゃんを亡くされたご夫婦とそのまま話せていろんな事ができるようになりました。一緒にいられる時間が短い赤ちゃんとの時間の過ごし方を大事にすることが出来ました。
そんな風に、私たち医療者も変わってきています。一緒に話してみませんか。医療者と医療消費者が医療を変える、作るものだと思います。

投稿: mw:tomo | 2006年5月20日 (土) 21時38分

はじめまして。サクラと言います。
竹内先生のこのサイトはたまたま知ったのですが、こんな素晴らしいサイトに出会えて嬉しく思ってます。

少し自己紹介をさせて下さい。
私は総合病院の産婦人科で助産師として6年勤務し、去年9月にアロマセラピーの勉強をする為にロンドンに留学しています。
臨床から今は離れていますが、助産師の仕事は大好きですし、来年末には日本に帰ってまた、助産師として働くつもりです。

竹内先生は患者さまと同じ目線で物事を感じ、考え、接していらっしゃるのが文章からも感じられ、患者さまだけではなく、同じ医療者としても私も本当に嬉しいです。
実際、日々の仕事に追われるのか、患者さまにそっけない態度で接したり、冷たいモノの言い方しかできない医師もたくさん居ました。
そこをフォローするのが、看護師・助産師の役割だと言われればそれまでなのですが、私は医師だからこそ患者さまに掛けれる言葉があると常々感じていました。
これについて医師と直接話をしたこともありますが、その医師により考え方、価値観は異なるので私たち看護師・助産師と同じ気持ちで患者さまに接していく事はとても難しく感じていました。

今回の誕生死について私自身、胸の張り裂ける思いで読ませていただきました。
私も今まで接してきた妊・産・褥婦の方達に満足のいくケアが出来たかどうか自信がないからです。
誕生死についての勉強会やセミナーなど何度か参加させてもらいましたが、私たちがその様な状況に直面するのも正直、突然の出来事ですし、極力見せないようにはしてますが、動揺してしまってるのも確かです。
そんな心境の中で自分がしてきた事が患者さまにとってどうだったんだろう・・・と思うと胸が痛いです。

今は臨床を離れてしまってますが、だからこそ自分の時間を多く持つことができ、感じ、考える時間も多く持つことができます。
この様な患者さまの生の声を大切にし、臨床復帰までの約1年半、医療のあり方、患者さまとの接し方、看護観を自分なりに考えて生きたいと思います。


投稿: サクラ | 2006年5月20日 (土) 21時01分

私自身は未婚で子どももいませんが、妊婦さんや赤ちゃんに対しての優しさはとても素晴らしいと思います。

「赤ちゃんの死を前にして」を読みました。その本のことをブログにも載せました。その内容に対してコメントも頂いたので、嬉しかったです。産業カウンセラーの機関紙の6月か7月号に先生の書籍紹介をしてもらう予定です(ちなみに私は産業カウンセラーです)。

このブログに期待したいことは、妊婦さんや子育てをされている方に向けて気にしておいて欲しいことや赤ちゃんを失った方の周りにいる人はどんなサポートをしたらいいのかを教えて欲しいです。医療現場で体験した経験を教えて欲しいです。

心理や医療福祉関係の専門職に対して期待したいことや提案があったら伝えて頂きたいです。少しでも妊産婦さんや子育て、そして赤ちゃんを失った方々のサポートができればと思っています。

先生は産婦人科から離れているみたいですが、医療現場に戻って欲しいと思います。妊産婦さんから安心できる先生になれると思います。

投稿: mimi | 2006年5月19日 (金) 19時36分

『さぁ!あなたの言葉を書いてみましょう』の一言で図々しくも書かせて頂いております。

先生とは滅多にお会いすることができないのに、
私はチャンスに恵まれエナで2度も検診をして頂きました。
とても温かい手に包まれたお腹。
なんだか幸せな気持ちになりました。
先生の手は不思議ですね。
その節はありがとうございました。
5月21日に開かれる先生の出産準備教室特別編に参加致します。
とっても楽しみにしています。

こんな私の言葉でも良かったのでしょうか・・・・・?

投稿: Okirakuかぁチャン | 2006年5月19日 (金) 17時45分

一年半前の年末年始に前置胎盤で葛飾赤十字産院に入院したものです。
『「どうしても竹内先生にお願いしたい」と泣いてわがままを言った』と言った方がわかりやすいかもしれません。たくさんの方がいらっしゃるのでわからないかもしれませんが・・・
出血で入院しなければならなくなって病院に行った時に、ますます不安になるようなことがあってのことだったのですが、今思うとすごく恥ずかしいです。でも、竹内先生にみて戴けて、本当に本当に良かったと思います。上手に言えなくて申し訳ないのですが、妊娠前の精神的に不安定な時に先生が笑顔で「大丈夫、大丈夫」と言って下さるのがどんなに心強かったことか。竹内先生は二人いらっしゃるのではないか?と思うほど朝も夜もその次の朝もという位病院にいらっしゃいましたね。また、当直や手術でおいそがしい中、毎日のように様子を見に来て下さいましたね。ありがとうございます。
帝王切開の手術にはもう一人先生が立ち会って下さったのですが、手術が終わった時のその先生の表情を見たときに、私はその先生を誤解していたところがあることに気がつき、今ではその先生にも感謝しています。竹内先生にもその先生にもご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした。
このブログは、私が‘竹内先生のファン’だと言っていたのを聞いて友人が教えてくれて以来、拝見していました。どの方向に対しても真摯に対応され、毎日コメントをされ、海外にも行かれ、竹内先生は大丈夫なのかなあ~と思ってしまいます。私が心配することではありませんが、くれぐれもお身体を大切になさってください。
竹内先生が現場にもどられることを期待している方にひとこと言いたいことがあります。
「竹内先生はここでコメントをされている内容通りの素晴しい先生ですよ!それでいて素敵です」
先生、このブログと竹内先生にこれからも何人もの人が救われると思いますよ。ちょっとプレッシャーをかけすぎかな??
P.S.今日(18日)、義理の姉が男児を出産しました。それと明日は約一ヶ月半海外出張に行っていた夫が帰ってくるのでとても嬉しいです。

投稿: わがまま | 2006年5月19日 (金) 01時56分

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